自我構造

 

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 精神医学の中に精神分析と云う分野があります。創始者はフロイトです。これは学問的側面と、治療的側面があり
いずれにしても、人間の潜在意識を扱っている分野です。

 フロイトは人間の自我を、三つに分類しています。super ego(スーパーエゴ(超自我))ego(エゴ(自我))es(エス)の
三つです。スーパーエゴは、・・・・してはいけない。とか・・・・しなければならない、と云う感情の事で。時には良心とか
理性とか呼ばれる事もあります。エゴはそのまま自我です、ちょっとした行き違いで、エスと混同され、誤解されてい
る事があります。自己中心的な奴と云う意味で、エゴイスティックと言われたりしますが、フロイトが提唱したときには
そのような意味はまったくありませんでした。エスは「よい事なんかしたくない」「悪い事だけしていたい」と云う感情の
事です。この中には残虐性も含まれています。

この分類は

 人間を考えていく上で大変参考になります。当時フロイトは人間にエスは本質的に備わっているものなので、スー
パーエゴでエスを抑制しなければ、ならないと、考えていました。そしてこの考えは現在でも主流です。しかし、同時に
フロイトは、スーパーエゴを強化しすぎると、人間の精神に悪影響をおよぼす、とも考えていたのです。そのため、人
間はエスを抑えきることは、絶望的である、とまで言っているのです。

そこで

 わたしは、この、スーパーエゴとエスに考えをめぐらしていたのですが、ある日、スーパーエゴってなんだろう、と考
えてみたら、スーパーエゴとは危険から回避する為の感情であることを突き止めたのです。これが事実上私の理論
(まだ仮説ですが)の出発点でした。すなわち、良心でもなければ理性でもない、ただの恐怖心だったのです。そして
人間に限らず動物は、恐怖状態を長時間持続出来ないのです。その為、ある程度恐怖状態を我慢した後は、怒り
が生じて、逃げる又は攻撃する、と云う行動をとるのです。これが、エスです。すなわちエスとは怒りの感情なのです
 すなわち、周囲に恐怖すべきものがなければ、スーパーエゴもエスも存在せず、エゴだけの人間が成長する事に
なるのです。いいかえると、エスはスーパーエゴを作れば作るほど大きくなると云うものだったのです。

親が

子供をしつけ、良い行いをさせ様とすればするほど、悪い事をしたい感情が大きくなると、云う意味です。ところが、
考える能力とか、他人の感情を読み取る能力とか、理性とか、良心など、人間が社会生活をしていく上で必要なあら
ゆる能力はエゴにつまっていたのです。ですから、自我喪失とはスーパーエゴとエスだけで出来ている人のことです。
このような状態を無能化と呼びます。

自我喪失の人は

 エゴを理解する事が出来ません。ですから、エスの事をエゴだと勘違いしています。自我喪失といっても、自我が
完全に無い訳ではなく、赤ちゃんの感情のまま、停止しているのです。このような状態を「口唇期固着」と呼びます
赤ちゃんは、操縦欲求と独占欲を持っています。これは自分が生き延びる為に必要な感情なのです。勿論母親の
都合を理解する能力はまだ育っていません。たえず「死んでしまうかも知れない」と云う恐怖心を内在していますから
待つと云う事は出来ません。感情が「口唇期」に固着すると云うことは、この性格を持ったまま大人になってしまうと
云うことです。恐怖心が薄まれば、すなわち、母親の献身的行動が充分であれば(これは母性愛に組み込まれてい
ます)自我は、徐々に「待つ」と云う事が可能になり、ゆとりが生まれ、他人を理解する事も可能になるのです。
 このように、徐々に人間の本来の能力を身につけて行くのですが、しつけが厳しいと正常な感情が育たず、恐怖心
が残ったまま肉体だけが成長してしまうのです。ですから、自我喪失している人は、おもいいきり臆病です。

この恐怖心が

 身を守るために必要なあらゆる物を貪欲に身につけていくのです。現在の人間社会では、権力の場が彼らにとって
最も安全に見えるので、そこへ全力でかけ込もうとするわけです。動物の群れが天敵に襲われた時、先を争って逃
げまどう姿を想像して頂けば近いものがあります。ただし人間にとっての天敵は人間ですから、権力を持ったとして
もそうは、簡単に安心出来ません。過去の歴史で天下を取った王様が、絶えず怯えていた姿を思い出してください。
 この、恐怖心がかえって他人を傷つけさらなる恐怖心を創り出す、と云う悪循環の中にはまってしまいます。
勿論他人のやさしさを受け入れる事が出来れば、恐怖心はやわらぐのですが、強すぎる恐怖心は「やさしさ」を認識
する能力すら、無能化してしまいます。いわゆる「疑心暗鬼」と云う状態になってしまうのです。

現代人はこれを

 独立心と勘違いしています。よく、人間社会を「弱肉強食」にたとえる人が居ますが、人間は同種です。「弱肉強食」
は異種同志での話です。しかし、人間が人間を天敵とみなしていたのでは、確かに人間社会は「弱肉強食」になって
しまうでしょう。

恐怖と
怒り

     
 

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