自我喪失

 親の感情の都合でしつけられると、前にも見てきたように、子供は凶暴になったり、精神状態が不安定になったり
します。これを、人は「悪いしつけ」とか「しつけのし方が悪い」と呼びます。そこで、「正しいしつけ」と呼ばれるものを
見ていきましょう。

まず

 独立心を養うという目的で、赤ちゃんの時から「ベビーベット」を使い両親と別々に寝かせます。この時点で赤
ちゃんは親のぬくもりを知らずに育つのです。子供は基本的に怖がりです。言葉をかえると、用心深いのです。この
用心深さは、親のやさしさや、ぬくもりで少しずつ大胆になれるのです。やさしくするとつけあがって、駄目な人間にな
ってしまう、と思っている人も多いようですが、子育ての基本は、子供の恐怖心を取り除く事にあります。しかししつけ
をうまくするには、むしろ恐怖心を残しておいた方が楽なのです。子供自身が大切なのか、自分が楽したいのかで、
この選択は決まります。

それから

 自我が行動を始めると、それをいたずらとみなし、手をピシャリっとたたいたり、いたずらがひどいときは、激しい
折檻をして、2度と手を出させないようにします。当然子供の自我は、外界との関わりの一部を遮断されてしまうの
です。すなわち、自我は成長できなくなってしまうのです。しかし自我の成長したい欲求は非常に強いものがあり、
泣いたりわめいたり、激しく抵抗します。しかしこれすらも、しつけで封じ込めるのです。

とはいえ

人間の母親は、哺乳動物ですから、当然母性愛が生じてくるのです、この母性愛の欲求に自然に従えば、我子にや
さしくせずには、いられないのですが、この様なしつけをする母親には、確たる自信があるのです。それが何による
ものかは、のちほど明らかになっていきます。母親は自分の欲求を理性で抑えて、毅然とした態度をくずしません。
ある瞬間から、子供はすべての反抗をあきらめ、唯々諾々と母親に従うようになります。ここまでくれば母親の計画
はその後ほぼ順調に進みます。しかし、子供の潜在意識のなかに燃えるような母親に対する憎しみが育っている事
までは、気づくはずもありません。

そして

 母親の言う事を素直に聞く良い子が出来あがるのです。しかし10才位までは、母親の目を盗んでは、自我の成長
の機会をうかがっています。ここまで自我がつぶされてしまうと、自我を取り戻そうと云う欲求は、いたずら、とか
いじめ、と云う形をとります。すなわち、母親の前ではとびきりの良い子を演じ、母親の目の届かないところでは、何
をやらかしてるのか、解らない、一筋縄ではいかない子供になっていくのです。とくにやさしさを受け順調に自我が
育っている同年代の子供には、激しい敵意を持つようになってしまいます。

彼らは

 すざまじいまでの恐怖心を内在していますから、間違えなくうそつきになります。母親の前と他で違う面を持つ事
それ事態も、充分うそつきなのです。うそが良い事とか悪い事と云う問題ではなく、怖すぎるから、自動的にうそが
でてしまうのです。しかしこの強い恐怖心はACTHの分泌をスムーズにする為に、知識の習得に驚くほどの能力を
発揮するのです。勿論自我が育っていませんから、考える能力は皆無です。ただし恐怖心は保身の為の知恵まで
は手放すはずもなく、自分を守るためと、その延長線上の他人を攻撃する為の考える力はかなり優れています。
勿論自我の育っている人にはまったくない才能です。

小学校も

高学年位になると、知識の習得能力の効果がいかんなく発揮され、良い成績をとれるようになります。又自我がない
分先生に逆らうこともなく、云われた事に何の疑問ももたず、素直に吸収していくのです。これが、母親が確信を
もって毅然とした態度をくずさなかった理由です。しかし自我が育ちたい欲求はなくなった訳ではなく、成績の低い
ものを、内心であざ笑う事で、かろうじて抑え続けていくのです。それは、強い上下感と差別感を生じさせざるをえ
ない心のメカニズムです。そして彼らはこの心の葛藤を抱えたまま成長していく事になるのです。

さらに

 成長するにつれ、考える能力が問われる場面が増えてきますが、彼らはそれを、マニュアルやノウハウでなんなく
クリヤーして行きます。すなわち、この場合はこう考える、このような時にはこう考えるというマニュアルを知識として
沢山詰め込む事によって、あたかも考える能力があるかのごとく、振舞えるのです。しかし、マニュアルにないような
まったく新しい場面に出くわすと、まったくなにも出来ません。これをごまかすために、いきなり怒り出したり、あらゆ
る奇妙な行動を起こします。

このようにして

 彼らを評価するものは、試験しかありませんので、試験好きになるのは云うまでもありません。そして数々の難関
を突破して、彼らにとって一番上と感じられる地位を目指します。これが母親の目指した計画です。

しかし

 彼らの目指す地位には数的に制限がありますので、どこかで、落ちこぼれる人も沢山でてくるわけです。落ちこぼ
れてしまったら、悲惨の一言につきます。何しろ自我が育っていないのですから、どのように生活していけばよいの
かさえ、見当がつかなくなってしまうのです。考えられないのです。かれらの詰め込んだマニュアルはあくまでも、
トップを目指し上り詰めた用しかないからです。そこで改めて自我を育てようとする機構が働き出し、いたずらが
始まります。しかし年をとってからのいたずらは、ほとんど、犯罪になってしまう可能性が大きく、大変危険な状態で
す時には、排他的縦社会集団に身を投じ上の指示に従った行動をとることで、安定を保つ事もあります。

彼らは

 表面をとりつくろう事にたけている事と、上に従順なため、目立つ事はありません。むしろ、目上の引き立てを受け
順調に出世していく場合が多いようです。しかし間違ってトップに立ってしまうと、その組織はめちゃめちゃになってし
まいます。組織を運営する能力はまったくありません。それをごまかすため、慣例に従い、時代の変化に対応出来
なくなってしまうからです。

私企業の場合は

 まだ部分的被害で済みますが、これが国を運営する地位に入り込んでしまった場合、国そのものが、危うくなって
しまうのです。特に、潜在的攻撃心は、国を戦争に導いてしまう可能性が大きいのです。このように、自我を育て
そこなった人間を私は「絶滅種」と呼んでいるのです。勿論これは、典型的例ですが、この中間も存在しているわけ
です。自我の喪失加減によっては、犯罪者や精神的病の人も多数出てくるわけです。ですから、確かに自我喪失
教育は、成功して権力を取ることが可能かもしれませんが、大変な危険もあることを、知って貰いたいのです。

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