恐怖と怒り

 人間が恐怖すると、アドレナリンが分泌されます。アドレナリンが分泌されると体が硬くなります。極度の恐怖では
まったく、体が動かなくなる事も、あります。これは、動物が天敵に遭遇した時、自分を石か立ち木にして、天敵が
見過ごしていく事を期待した、自然のメカニズムです。しかし、見つかった場合、いっきにノルアドレナリンが分泌
され、すざまじい瞬発力が発揮できます。これが怒りです。ですから、怒りは攻撃だけとは限りません、逃亡も含ま
れるのです。しかし、恐怖にしても、怒りにしても長時間の持続は細胞を極端に疲弊させます。これを、人はストレス
と呼んでいます。

ところが

 自我喪失の人はこの、恐怖と怒りしかないのです。怒りは細かいコントロールが出来ません、そこで、怒りで行動
力を創り出し、恐怖心で細かいコントロールをしているのです。例えて云えば、アクセル全開の車をブレーキだけで
コントロールしている様なものです。ですから、ときどき、爆発してブレーキをひやさないと、いつか焼ききれてしまい
ます。その為、ちょっとした事で、怒りっぽい性格になるのです。怒る理由が原因ではありません、怒ることが、目的
なのです。こんな、状態の時そばに、いつでも、怒れる相手が居ると、かなり安心が出来るので、出来るだけ、その
様な相手をさがして、お供にしようとします。このような相手の事をスケープ・ゴート(いけにえの山羊)といいます。

子供は

特にスケープ・ゴートになりやすく、一番被害を受けます。しかし、子供もその為ストレスをため込んで、同じような
人格になっていくのです。こうやって、子から孫、孫からひ孫と、ストレスは受け継がれていくのです。この、ストレスは
勿論他者に受け渡される事もあり、横方向にもストレスはひろがっていきます。これを、我慢させると、どこかで必ず
暴発します.いわゆる「きれる」と云う現象が発生するのです。自我喪失している人は、他人の感情を読み取ること
が出来ません、その代わり、自分の潜在的感情を相手に投影して、推測するのです。似たような人同志の間では
これでも、あまり不便はありませんが、感性や習慣の違う相手では、まったく違ってしまいます。これが、誤解と云う
現象です。

他人を投影だけで見ている場合、怒りが頂点にたっすると、この投影機能が麻痺してしまいます。すなわち、彼に
とって、相手の人間はもはや、人ではなく物になってしまうのです。これで、彼らは、人が殺せるのです。その為彼ら
が正常な(?)生活を維持する為には、スケープ.ゴードの存在が絶対的に必要なのです。その為、弱者の犠牲の
もとに彼らの生活が成り立っているのです。これは、もはやこれは理性とかそう云う種類の問題ではないのです。

よけいな
はなし

     
 

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