自我

 

戻る

 

TOPへ
戻る

 自我という概念には人それぞれの考えがあり、さらに、ある事情によりかけ離れたニュアンスを持つものもいるの
でここで、定義と云う程のものでは、ないにしても。私の見解を少し提示しておきます。

ある育児書の相談コーナーにあった相談

「うちの子は、自我が強すぎて困っています、どうしたらよいのでしょう?」

 この「自我」こそ、これから私がお話しようとしている自我です。そして大人になると「自我の確立」と云う問題が
生じてくるのです。そして、この自我もまったく同じものなのです。

赤ちゃんが

 手足をばたばた、させています。しかし、時間がたつにつれ、無目的的に動かしていた手足の動きが、だんだん
目的を持った、統制のとれた動きに変わって行きます。神経細胞の働きには学習機能があります。簡単に言えば
YES,NO の信号でYESの時は通りやすくなり(活性)、NOの時は通りにくくする(抑制)機能です。
そして、この」YES,NOを決定する主体が「自我」なのです。ですから、生物にはアメーバーから始まって、すべて
が自我を持っていると、言えるのです。

話を戻して

 赤ちゃんの自我はたえず、外界を把握し自分を外界に適応させようとします。ですから、動き回れるようになると
あらゆる物に手を出し、色々試し始めるのです。ところが、大人にとっては只のいたずら、としか映りません。
そこで、親はそれらの、行動を制止しようとします。ところが赤ちゃんの自我にとっては、とても大切な行動なので、
激しく抵抗します。この現象が上記の「自我が強くて困ります」となるわけです。この時期のしつけやお仕置きは、赤
ちゃんの自我には意味不明で、ただ恐怖心を植え付けられているにすぎないのです。そこで、赤ちゃんの自我は
少しずつ、母親に対する不信感を蓄積して、大人になった時の潜在意識の最下層に設定されます。
ですから、自我を育てると云う事と、家の中をたえず綺麗にしておきたいと云う欲求とは、まったく合い入れないも
のになってしまいます。

もう少し大きくなると

 子供の自我は、親をモデリングにして、親の真似をしようとします。親のやってる事はなんでもやりたがるのです
しかし、やはり、邪魔なばかりでなく、汚いは、危なっかしいは、とても見ていられる状態ではなくなってしまいます。
ここでも、しつけやお仕置きで、やめさせようとします。しかし言葉がまだしゃべれない頃の子供は、泣く事で、激しい
抵抗をします。自我を育てるにはやはり、親の限りない寛容が要求されてしまうのです。しかし子供の自我はとにか
く、自分なりに納得さえすれば、すっかり、飽きたかのごとくに、止めてしまいます。ここまでの辛抱です。

言葉を覚える頃になると

 行動に落ちつきが出てきます。しかし、ここまでに、しつけや、お仕置きが激しかった場合、なかなか落ち着きがな
く時には乱暴になってしまいます。子供の自我にとってはやり残して来た事が多すぎるのです。やりたいことをやらせ
てくれなかった、母親に対する不満が湧きあがるのです。しかしここでも、やはりしつけやお仕置きでその不満すら
も閉じ込め様としてしまいます。そうすると、子供の心は恐怖心ばかりが増加して、大人になってから、臆病な性格
に又は怒りっぽい性格になってしまいます。

ここまで

 順調に自我が育ってくると、4,5才頃に、不思議な行動が始まります。それは、なんでもかんでも反対にし始める
のです。それは、今まで親の真似をして学んで来た事が正しかったのか間違っているのか、選択する為の大事な
自我の行動なのです。これを、しつけやお仕置きで止めてしまうと。大人になって、大切な場面で失敗を繰り返す
人間になってしまいます。いずれにしても、しつやお仕置きは、恐怖心を利用したものですから、恐怖心がだんだん
蓄積されて、人間生活に大きな障害になることは、まぬがれません。

さらに

 5、6才頃になると、やっと他人の感情が読めるようになってきます。人間という動物は社会性を持っているので。
この、他人の感情を読み取る能力は非常に大切なものです。よく「思いやり」とか「他人の痛みが解る人間」とか表現
されるものは、この「他人の感情を読み取る能力」をベースにしているのです。しつけやお仕置きで恐怖心が心の
大部分を占めてしまった様な人間は、いつまでたっても「思いやりの心」は生じてきません。他人の感情をよめないからです。

このようにして

 親の限りない寛容の元に育った子供は、自我が育って、考える能力が驚くほど成長します。言い方をかえれば、
自我とは考える能力そのものだとも言えるのです。それは、動物が遭遇するどのような場面でも切り抜けて、生き長らえる為に、絶対必要な能力だからなのです。

 
 

次に行く

 
     
動画