天敵認識

哺乳動物としての人間

 現在地上に棲息している動物のほとんどは、どんなに争っても同種同志で殺し合うことはありません。しかし,人間は、例外的存在なのです。

 この事実を基本に思索を重ねていきましょう。

 本当に人間は人間を殺せるのでしょうか?・・・・・・・・・あれ?・・・・・・・・
確かに殺人はあらゆる所で頻繁に起こっています、だからなんとなく、人は人をなんなく殺せるような気がしてしまうので、なんの不思議も感じませんが、人間を殺すと云う事はとんでもなく大変なことだと気づく人も多いと思います。
 例えば,死刑執行の時三つのボタンを用意して、そのうち一つだけが配線されていて、3人の執行官が同時に押すと聞いています。死刑執行は法律で認められた殺人ですので犯罪ではありません。でもそこに生じる心の葛藤は想像してあまりある物があります。

だから

 多分人間も本来は人間を殺せないように出来ているに違いないと思えるのです。人を殺すと云う精神状態は、それだけ追い詰められて、もはやいき場を失った人間だけが行う行為だと結論ずけてはいけないでしょうか。
 「悪人」と分類して切り捨てていく事は簡単なことです。しかし、それで人類は問題を解決出来るのでしょうか?
私にはそうは思えなかったのです。
 では何がどのように彼らを追い詰めていったのでしょうか?それを、あわてずに、じっくり考察していきたいと思います。

そこで

 目を転じて何故ほとんどの動物は同種同志で争っても殺すところまで行かないのでしょう?この考えにはダーウインの自然淘汰の考えを導入しなければなりません。多分大きな環境の変化で特に食料等の関係で同種を殺してしまった種があったと仮定します。するとこの種は、今まで自分達を殺すのは他の種であったはずですので、それを、天敵とみなし天敵だけに注意を払えば良かったのですが、ここにきて、同種も天敵になってしまった事を意味します。
 この事は重大な出来事です。特に社会性とか群れを作る動物にとっては致命的です。
なんと云っても仲間が天敵なのですから。特に深刻なのは母親です。母親は子供に天敵を教えなければならない重要な任務があるのです。他の種だったら、まったく問題がないのですが、同種が天敵となるとかなり事情が違ってきます。なぜなら、子供に自分も天敵であると、教えなければならないからです。時には母親が我が子を天敵と認識して子育て放棄をしてしまうかもしれません。特に哺乳動物の場合母親が子育て放棄をしてしまったら、子供は絶対に生き延びられません。このようにして、この種は絶滅してしまうでしょう。

すなわち

 環境の変化が、その種に「もはやこの地上に生存してはいけない」と云う冷酷な宣言をしたのです。この様にして、同種同志で殺し合う様な種は淘汰され、絶滅してしまった、と考えられるわけです。だから現在の地上には同種同志で殺し合う種は存在しないのです。

では

 人間はどうなんでしょうか?人間も遠い昔、人間が人間を殺すと云う不幸な出来事があったに違いありません。
ですから、本来なら人間は遠い昔に絶滅してしまった「絶滅種」だと思われるのです。しかし人間は幸か不幸か言葉と云う通信手段を手にいれた為、お互いに詳細な約束事を取り決めると云う事が可能になり、なんとか絶滅からまぬがれた、と考えられるわけです。
 しかし、人が人を殺すと云う歴史はもう何千年も続いています。そして今でもその状況はほとんど変わっていないのです。絶滅を辛うじて免れている最も重要なものは「言葉」です。ですから、今後もこの「言葉」は重要になっていくものと思われます。

ここで人類から自分自身を少し引いて見てみましょう。

もしかしたら

「絶滅種」である人類を「通常種」に変えることが出来たら・・・・・・・・・・・
ひょっとして、ひょっとすると、人類の歴史は大転換するのではないか?そんな希望が湧いてきはしませんか?
その社会には争いはあっても、殺人がいっさいない社会、死刑や自殺もふくめ、勿論戦争もない、夢のような社会が可能かもしれないのです。

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本当にそんな事出来るのかなあ?

 
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