ここからは

 

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ここからは、いよいよ、心の中に入っていきます。人間のこころは、ちょうどパンドラの箱のようです。というより、
パンドラの箱とは、人間の心を言っているともとれるのです。うかつに、入りこむと、大変な事になります。しかし、最
後には、希望がまっています。妖怪変化、魑魅魍魎に会わずに、いきなり、希望に出会えればいいのですが、そうは
いきません。妖怪変化、
魑魅魍魎を一つ一つ、解決していく事が、すなわち、希望なのです

精神分析

精神分析と云うのは、人間の心の中をのぞく手法です。自分では気づかない潜在意識を気づかせる事で、精神的
病を治そうというものですが、医師のほうにも、患者の方にも、充分な心構えがないと、大変な困難にぶつかります。
精神分析関係の書物をみていると、色々な症例から、それらを読み取る事ができます。例えば、ある中年の男性の
患者は、精神分析を受け始めてから、家に帰ると年老いた彼の両親に毎回暴力を振るってしまったそうです。家族
と医師が相談のうえ、精神分析をやめた所、暴力はおさまったそうです。またある例では、入院していた、若い女性
患者が、ナース・ステーションのガラスに椅子を投げ込んだ話しもあります。伝聞ですが、教育分析といって、分析医
になる為に病気ではないけど、分析を受ける場合があります、この教育分析を受けていた若いインターンの女性が
自殺した事も聞いています。ある、分析を受けていた、女性の家庭では、母親が父親を殺してしまったと云うショッキ
ングな出来事も聞いています。

これらの事から

 日本では、精神分析はあまり多くは行われていない様です。特に最近では精神的病には薬事療法が主流です、し
かし、精神的病を扱う病院では、医師が、発病するものも稀ではないようです。しかし、薬だけでは治るというより
症状を抑えるのがやっとのようで、一旦発病してしまうと、薬を貰うだけの病院通いは終わらない感があります。
そこで、最近のカウンセリングは出来るだけ心の奥に入らないようにしている様ですが、かなり難しいものがありま
す。出来ることなら、心の中深くまで入りこんで、根本的解決が望ましいのですが、現時点では「症状の軽減」と「現実
適応」を、治療の目標にするのが、精一杯のようです。

これが

 妖怪変化魑魅魍魎の正体です。これらの妖怪の力を軽減する唯一の方法は「善悪をなくす」と云うものなのです。
現実問題として「善悪をなくす」事は出来ません。これは、かなり根強く人間の心にしみついているからです。

しかし

 考えの上で「善悪」をとりあえずなくして考えてみる事は不可能ではありません。例えば人殺しは悪いことです。
しかし、これは、殺す人、殺される人の出会いの問題として、冷静かつ客観的に見てみると「必然」と云う言葉が
出てくるのです。どうやら、人間の社会生活は化学反応のようでもあるのです。この様な考え方をしながら、心の奥
を眺めていくぶんには、妖怪変化はちっとも怖くはありません。すべてが「必然」なのです。人間がなまじ理性で自分
をコントロール出来ると云う幻想を抱いている為に、必然が受け入れられないだけなのです。潜在的に恐怖が出てく
ると、思考が停止して、わずかに怒りが出てきます。こうなっては、先へは進めません。いままでも、多少は心の中
にふれる部分があったので、このような感覚を持った人もいるかもしれません。これからはもっとひどい事になってい
く可能性が大きいのです。

そこで

 妖怪といえば、なんといっても般若心経でしょう。というわけで、しばらく般若心経にお付き合いしていただこうと思
って、途中までいったのですが、漢字が足らなくて、断念しました。般若心経の核心の部分に「不垢不浄(ふくふじょう
)」と言う部分があります。汚いものもきれいな物もない、と言う意味です。仏教は三昧のところでも触れたように、
人間には「執着と妄想」があるので「如来の知恵、徳相」があるのに、知らないだけだ、と云う立場をとっています。
そのこだわりが、「きれい、きたない」であり、行きつくところ「善悪」に収束するところに、問題の根本を見出してい
る様です。勿論きたない生活をしろ、と言ってるわけではありません。きれいにしてはいけない、とも言ってません
物事の本質には、きれいもきたないもないんだよ、と言ってるだけです。「絶対ゆるせない!!」と言う種類の問題
ではないんじゃないの?という程度のものです。例えば、ご飯の成分を見てみましょう、炭水化物です。それは
炭素と水素と酸素で出来ています。この炭素と、うんこの中にある炭素では、どんな違いがあるでしょうか?

そんなの

へりくつだ! と思う人もいるかも知れません。ここが、一番重要な感情の部分です。きれい、きたないとか良い悪い
に強く執着していると、他人に当てはめている場合は問題ないのですが、自分に帰ってきたとき、怖い事になってし
まうのです。勿論感情的にきれいきたないをまったくなくす等は出来るはずもなく、ただ、必ずしもこだわる必要がな
のではないか?と言うだけの意味です。次に、般若心経の真髄は「
心無罫礙無罫礙故 無有恐怖(しんむけいげ、
むけいげこ むうくふ)」(罫の本当の字はトがありませんが、字が出てきませんので罫をつかいました)の部分です
訳すと「心にこだわりなし、こだわりなきが故に 恐怖なし」ようするにこだわりがあるから、恐怖があるのだ、と言って
いるのです。

このあと

「能除一切苦(のうじょいっさいく)」と云う部分がありますそれは「こだわりをなくせば、一切の苦しみが取り除かれる
と云う意味だと思います。しかし、般若心経の自我自賛にもかかわらず人間の苦しみは、それほど取り除かれたと
は思えないのですが・・・・   後ほどふれたいと思いますが、かなり重要な欠陥があると思われます。
とはいえ、ここでは、恐怖心をやわらげ、理解力を確保するため「善悪」の概念を一旦棚上げをして考える様につ
とめてもらって、先に進みたいと思います。

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