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人間という哺乳動物


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  同じ様なタイトルで前のHPにも書きましたが、より具体的にと思って再度書きます。前のHPを見た人たちから良く
「あなたの考えは性善説ですか?」と聞かれる事があります。しかし「善悪」を抜いて考えていますから「どちらでもあ
りません」もし一般的善悪でお答えするなら「育て方でどちらにもなりうる可能性を秘めた性(さが)」とお答えして置
きましょう。もう少し具体的にお話するなら「性悪説」で育てると「悪人」が、性善説で育てると「善人」が作れる可能性
がある。という事でもあります。ですから「性善説」に近いかも知れません。しかし基本的には「どちらでもありません」
あくまでも「自然は自然のまま、人間といえども自然の一部」という所でしょうか。人間は皆さんもご存知の様に「哺乳
動物」です。ですから同じ哺乳動物である犬とか猫とか猿とか馬とか牛とか哺乳動物の生態も見ておきましょう。
勿論種が違いますから、そのまま当てはめる事は出来ません。でもそこに重要なヒントが沢山かくされていると思い
ます。すなわち人間を「動物の一種」という一つの見方があるだろうという事です。言い換えると人間の動物的部分
といいましょうか。それは「生まれ付き」なのかそうじゃないのか?という判定には重要だと思います。

私が一番最初に着目したのが「ほとんどの動物が同種どうしで殺しあう事はしないけど人間だけが同種を殺せる
唯一の動物である」という事です。これには反論も出ました。反論に対する反論は後ほど提示する事にして「同種
同士の殺し合い」という点に着目してみましょう。人間は確かに同種で殺しあいます。しかしこれがはたして「生れつ
き」かどうか?が問題の本質です。いきなり結論を出してしまうと先には進めないので、ここでは保留しておきましょう
人間以外で考えて見ましょう。「同種同士が殺しあう」という事は「社会生活」すなわち「群れ」を作って食物を獲得
したり、天敵から見を守る事がとても困難になると思われるのです。特に重要なのは「子殺し」です。生まれてきた
子供を次々に殺してしまったら「種の保存」があやうくなります。その行き着く先は「絶滅」でしょう。すなわち過去
にも「同種同士の殺し合い」をする種があったかも知れません。しかしきっと絶滅してしまったのでしょう。という事で
現在の地球上には「同種殺し」は存在していない、と思われるのです。すなわち「同種殺し」は「絶滅種」と判断
してみましょう。そうすると人類はまだ絶滅していません。でも良く考えて見るとどうやらベクトルは絶滅に向いて
いると思いませんか?すなわち人類は絶滅の途上、と判定できるのでは?と思うのです。さて実は人間だけでな
く他の種にも「同種殺し」は見られます。ライオン、虎、チンパンジー、カバ等の同種殺しが目撃されています。でも
良く見て下さい。これらの種はかなり昔から人間と深いかかわりがあったと思いませんか?そこで私は考えました
これらの種は人間に関わった為に「絶滅種」になってしまったのかもしれない、すなわち現在これらの種は「絶滅
途上」ではないだろうか?という事です。チンパンジーを例にとってみていきましょう。良く知られている事ですが
チンパンジーは子供の時には人間のいうことを良く聞いて芸などを披露する事が出来ます。しかし成長して、すな
わち大人になったチンパンジーは凶暴になり人間の手に負えなくなります。でもこれは人間に育てられたチンパン
ジーだけです。まだ手付かずのジャングルに居るチンパンジーはそこまで乱暴ではありません。それは当然の事
ですよね。成体になったチンパンジーの腕力はとてつもなく大きな物です。一撃で相手を殺してしまうほどの威力
があります。同種同士ではこれは手加減するのですが、人間に飼われたチンパンジーは手加減を知りません
ですから現在では凶暴になってしまったチンパンジーは頑丈な檻の中で飼い殺しにするしか方法がありません。
しかしもしかしたら昔の、あまり動物の生態を良く知らなかった時代には「手のつけられなくなったチンパンジー」を
野に放ってしまった可能性は否定出来ないのでは?と私は思うのです。そんなチンパンジーがチンパンジーの群
と遭遇したら・・・・想像は十分できますよね。そうやってチンパンジーの、ある群は「同種殺し」の出来るチンパン
ジーの群になってしまったのでは?と思われるのです。そしてその様な群の場合必ず「子殺し」が観察されます
そして又ある動物園に飼われていたメスのチンパンジーは子供を産んだら、我が子をグルグル回して殺してし
まったという話も報告されています。すなわち「子育て放棄」が起ってしまったのです。言い換えると「母性本能」
が喪失してしまったのです。
「人間に育てられたチンパンジーは凶暴になったり子育て放棄をしたりする」
という事実を確認しておきましょう。しかし人間の接し方によっては凶暴にならないチンパンジーもいなくはないので
は、とも思いますし、それは確実に幼少期の人間の接し方にかかっていると思います。「子殺し」「子育て放棄」
いずれも種の保存には大きな障害です。これでは絶滅も近いのではと予感されます。私がテレビ見たアフリカ
奥地のチンパンジーは子供をとても大切にします。大人のチンパンジーが子供と遊んでいた時、誤って子供に
痛い想いをさせてしまったら子供がキーキー言って非難の嵐です。そしたら痛い思いをさせてしまった大人の
チンパンジーが右手を水平にさしだして、いかにも「ごめんごめん、悪かった、そんなに怒らないで」という仕草をして
いたのが印象的でした。表情も幾分悲しげでした。このチンパンジーの群でも争いはありましたが「相手の金玉を
やんわり掴んだ方が勝ち」という暗黙の了解があったので「殺し合い」に発展する事はありません。(争いを起こす
のはオスだけのようです)
きっとこの群はまだ「絶滅種」になっていないな、という印象です。勿論「子殺し」は
起こっていないようです。すなわち「通常種」でしょう。しかしこの「通常種」が「絶滅種」と遭遇したらどうなるか
想像に難くないと思います。「手加減する種」と「手加減をしない種」では争ったら「手加減しない種」の方が圧倒的
に有利ですよね。「通常種」は一匹でも同種に殺されたら震え上がってしまうだろう事は目に見えています。
そして「絶滅種」の軍門に下るでしょう。そして群全体が「絶滅種」になっていくだろう事は想像にかたくありません。
こうやって地球上のすべての同種が「絶滅種」になってそれから「絶滅」は進んでいくのでしょう。だから「絶滅種」
といえどもいきなり絶滅するわけではなく結構長い時間をかけて絶滅していくと思われます。
勿論長い時間といっても地球の歴史から見れば瞬間ですけど。

これと良く似た事が日本でもあったみたいです、いや昔の人間の話ですがね。やまと朝廷軍(私達の先祖ですね)
が関東に進軍して来た時、そこには「戦いを知らない土着民族」が居たそうです。やまと朝廷軍は逃げ惑う彼ら
を追いまわしてことごとく殺してしまったそうです。真偽の程は歴史の専門家ではないので私にはわかりません
が、ありそうな話だとは思っています。すなわち日本でもその時代までは「通常種」がいたのでは?と思います。
青森にある遮光土偶で有名な登呂遺跡には数百人近い人が住んでいた形跡があります。私はここにも「通常
種」の人間が住んでいたのではと思っています。ですからここの研究で現代の人間をあてはめて考えるのは間違
っていると思っています。すなわち「通常種」なら「長」がいなくっても十分大きな集団で生活出来るのだと思って
いるのです。動物園の猿山ではボスがいます。しかし野生の猿にはボスらしいものがいる形跡がないという報
告も聞いています。一方犬や猫といったペットとか牛、馬といった家畜についてはどうでしょう?どうやら野生動
物とは特性が違うみたいです。だから人に飼われる事が出来たのですよね。チンパンジーを始めもともと野生種
だった動物を飼いならすのは至難の業です。どうやら野生種は上下があるのが嫌い見たいです。彼らには「尊厳」
があるようなのです。ペットや家畜には「尊厳」がないのかといえば、そうでもなさそうです。ただ野生種に比べる
とそれほど大きくはない、という所かも知れません。でも扱い方によっては彼らとて凶暴になることは知られて
います。牛は日本ではおとなしい動物です。ところがスペインに行くと凶暴なのが普通みたいです。きっと扱い
方が違うのだと思います。むつごろうさんという動物学者がいます。どうも私は彼の説を信頼し切れません。彼
は「しつけをするにはこちらが上である事を知らせなければならない」と言ってますが「しつけ」ですか?何故で
しょう。何故「しつけ」をしないといけないのでしょう。そういえば彼は東南アジアの何処かに言ったとき仲良く
なった象を「しつけ」様としたら、象に殺されそうになったそうです。「象の尊厳」を痛く傷付けたのですね。私は
そう思います。すなわち「しつけ」とはされる方の「尊厳」を痛く傷つけるものだ、と結論付ける事が可能です。
そして人間はどちらかと言うと野生動物に近い動物なのでは?と思います。それは人間をペット化したり家畜化し
たりするのは不可能なのでは?という意味です。

話は飛びますが、私が見たマレー虎の「同種殺し」について見て見ましょう。それは子育てをしている家族虎
の所に父虎が留守の所を狙って、はぐれ虎が子供を殺して母親虎に性交を迫り、母虎と大乱闘をして退散した
後の映像でした、母虎はひどく傷ついて瀕死の重傷のままジャングルに消えて行きましたが、もう一つの若い
母親虎の所では母虎はいち早く逃げてしまったので、母虎は無事でしたが、子供は殺されてしまいました。
その若い母親虎はその死んだ我が子の周りをいつまでもいつまでもぐるぐる回っていました。人間以外の
哺乳動物ではメスが発情しないとオスは発情しないように出来ています。すなわち子育ての途中の母親は
決して発情しませんから、性交は不可能です。それでも性交しようとしてくるはぐれ虎は子供を殺してしまっ
たのですから、間違えなく他の虎とは違っていると思われるのです、多分「絶滅種」でしょう。彼の生い立ちま
では知る由もないのですが、幼少時になんらかの不幸に見舞われた、と推測出来ます。マレー虎は現在公式
に「絶滅危惧種」に指定されている程個体数が減っているのです。そんな貴重な虎の子供(文字通り虎の子
ですね)
が殺されてしまったら個体数はますます少なくなってしまいますよね。基本的に哺乳動物の通常種は
「雌が発情しないかぎり雄は発情しない」
という様に出来ているようです。しかし「絶滅種」になると(ここでいう「絶滅種」とは公式に指定された「絶滅危惧
種」とは意味が違って「同種殺しをする種」という意味で使っています)
オスはメスの発情のある無しに関わらず
発情するようです。すなわち「通常種」の場合は「レイプ」というものは動物学的にありえない現象なのです。所が
オランウータンには「レイプ現象」が見られるそうです。オランウータンが同種殺しをするかどうかは、私には情報
はありませんが、チンパンジー程は腕力がないので「同種殺し」まで至らないのかも知れません。でももしかし
たら「子殺し」や「子育て放棄」はあるかも知れません。やはりオランウータンもかなり昔から人間と深いかかわ
りを持っていますよね。人間の場合は子供の成長が他の哺乳動物よりかなり遅いので、慎重に検討しなければ
なりませんが、でもやはり「通常種」になればレイプはあり得ないと思います。その名残か「レイプの出来ない男」
も人間の中には存在しています。すなわち女性から「拒絶」されると勃起しないのです。「レイプ」は現代社会で
は明らかに「犯罪」です。ですから「レイプが出来る人間」とは同時に「不正が出来る人間」と同義語ですね。
また幼児性交やホモセクシャルは種の保存の観点から通常ではやはりありえないと考えられます。多分生育
途上でなんらかの異常な障害があったと推測出来るのです。現在ではこれらを「生れつき」と、合理化をしていま
すがそれは彼らに対する「差別意識」から守る為に必要な事かも知れません。しかし「差別意識」がなければ
もっと、はっきりした「科学的調査」が出来るのだと思います。すなわち「生殖機能」の無いものへの性的アプローチ
は動物学的に見て「ありえない」事だと思います。すなわち「生まれつき、の可能性」は限りなく0に近いと私は
思っています。「沈黙の壁」がなくなればやがて真実は現れるでしょう。
又これは私の仮説であり、今後の調査が必要なことでもあるのですが、動物は不安が極限に達すると「性欲」
が生じてしまうのでは?また「発情」の時期が若年化するのではと思っています。それは天敵に囲まれた時
少しでも多くの子孫を残し「種の保存」を最優先する為に必要な動物の機能ではないかと思われるのです。
すなわち天敵に襲われて個体が減少するのを防ぐ為に大量の子孫を残しておけば「種」としての存続の
可能性が増えるだろう、ということでもあります。

人間の潜在意識を観察してみると、この後解説する事になる「受動的攻撃」も含めほとんど100%に近い人達は
その内部に「人間に対する攻撃欲求」を内包しています。勿論人類すべての潜在意識を調べるのは不可能です
が潜在意識は人間の言動を分析する事で知る事が可能なので「ほとんど100%」と言う事が出来るのです。
例えば「挨拶」という現象を考えて見ましょう。世界中にある挨拶の形を良く見てみると、西洋の「握手」は、自分
の「利き手」をお互いに相手に預ける事で「戦意」のないことを告げ、日本の「おじぎ」は自分の最も弱点である
頭頂部を相手に見せる事と自分の目線を下にする事で「戦意」のないことを告げています。中国では右手の
こぶしを左手の平で抑える挨拶がありますが、これも相手への「戦意」のない事を伝えようとする「形」でしょう。
「あいさつ」をしない人を見ると、とても不安になったりします、時には「挨拶をしない」と言って怒り出す人もいま
す。それは相手に「敵意」を感じているからでしょう。この他にも人間が人間を恐れている社会現象は沢山ありま
す。すなわち人間にとって人間は「天敵」でもあるのです。すなわちほとんどの人間が潜在意識に持っている
「攻撃心」とは人間に対して「恐怖」を持っているからに他なりません。いつでも見知らぬ物に対する警戒心を持ち
続けそれに備えているのが「攻撃心」です。「気心が知れない」というのは不安の元になりそれは親、兄弟、夫婦
等の家族でも「何を考えているかわからない」と感じると争いを起こす事も時にはあるのです。人間に対して絶えず
警戒をしている潜在意識が、確かに存在しているのです。それは自分のいう事を素直に聞く人間は安心だがそう
でない人間は不安でたまらないので、いう事を聞かせようとしたりなんとか遠ざけよう、目の前から消えてもらおう
とするのも同じです。「自分のいう事を聞くのはかわいい」、いう事をきかないと「かわいくない」と感じるのも同じ事
ですよね。
この様な「人間の人間に対する攻撃心」を、もともと生まれながらに持っているもの、すなわち人類は進化の過程
でその様な動物になってしまったのだ、だからそれが普通の事なのだ、と結論つける事によって「性悪説」が出来
るのです。そうなると人間に対する攻撃心を抑制せねばならないという結論に達しざるをえなくなります。所が
抑制すればするほど「攻撃心」は増幅してしまうのです。ここに「性悪説」の最大の欠点があります。フロイトも
人間の人間に対する攻撃心を「元々持っているもの」と思っていたようです。その為「抑制しなければならないが
それが(抑制が)大規模に行なわれるのは不健康である」と言っています。特に西洋人にはその傾向が見られる
ようでもあります。そしてそれを人間の「動物的部分」と解釈しているようですが(エス又はイドと呼んでいます)
動物はそんなには攻撃的ではありません。動物に対する知識が乏しかったのでしょう。すなわち西洋的思想は
ほとんど「性悪説」の上に成り立っているという事が言えると思います。言い換えれば「力ずく」で強制せねばな
らない、と思っているという事です。しかし「抑止力」は限界がある、となると「もはや希望はない」という事になって
しまいます。しかしこの「攻撃心」を「生れつきではない」と仮定すると希望が持てるのではないでしょうか。

ですから私は以上の様な考察から、私をも含め
「人類は絶滅種である」
と結論付けます。すなわち人間誰もが持っている「人間に対する攻撃心」は「生れつきではない」という事です。
勿論「不正の出来る人」と絶滅種はイコールではありません。「絶滅種になっていると思われるチンパンジー」
に限りなく近いと思われるのです。そしてもし仮に絶滅種である人間を「通常種」に戻す事が可能なら、人類は
大いに希望が持てるのです。一旦「絶滅種」になってしまった動物は「通常種」に戻る事は不可能です。
でも人間なら「知恵」があるので、可能性はなくはない、と思っています。勿論人間の言動は潜在意識に支配
されていますから「本能の命ずるまま」と言うと語弊がありますが「感じるまま」に行動してしまったのでは難しい
かもしれません、それなりに「意識」をして行動しなければなりませんのでそれはとても難しい事でもあるのです。

こうなると私のもう一つの興味は「この地球上に通常種の人間はいるのか?」と言うところでもあります。私の
仮説を使えば通常種である場合その集団に絶対的権力を持った「長」とか「呪術師」(後ほど解説しますが
これはパラノイアと深い関係にあります)
がいない事になります。そしてもしかしたら「挨拶」という習慣を持って
いないかも知れません。アフリカの種族を「原始的種族」と思って調査する人もいますが、アフリカといえども過去
にヨーロッパ人が荒らした地ですから、かなり難しいと思います。しかし唯一私の目にとまったのはブッシュマン
と呼ばれる「コイサンマン」です。テレビでほんのさわりしか見ていませんが、どうやら「長」らしいものがいない
見たいなのです。そして「あいさつ」と言う習慣もなさそうです。あとはアジアの山の中で生活していた人達も
候補にあげられるでしょう。山の中にバナナの葉で作った「雨よけ」の下で生活してバナナの葉が黄色くなったら
よそへ移動するという習慣をもった集団です。しかし彼らの山も彼らが知らないうちに「他人の物」になってしまい
ジャングルの伐採が進み「住む所」や「食べる物」が減少し沢の水さえなくなってきたので、やむなく徐々に政府
が用意したふもとの集落に引越しせざるを得なくなっているようです。その他にも「長」のいない部族はそこそこ
残っているようでもあります。なにしろ「通常種」は「足ることを知る」種ですから「進歩」というのと無縁だと思い
ます。現在の「絶滅種の文化」は「欲求不満」が進化させてきたのだと思います。「それじゃぁなにか通常種に
戻るという事は我々も裸の生活をしろっていう事か?」とはやとちりの人がいるかも知れませんが、その可能性
はほとんどありません。現在の社会は人口が増えすぎて全員が「自給自足」が出来る状態ではないのである
程度現在の文明を継承しなくてはならないでしょう。「そこにあるもので十分満足できる」という事ですので今の
文明が「そこにあるもの」であればそれでいいのです。そして今の文明は「進歩しなければならない」システム
になっていますから、継承すれば今ほど早くはない、というだけで進歩もあると思われます。

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