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潜在意識


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  人間を知る手がかりとして潜在意識というものをしっかり把握していく必要があります。何故なら人間の行動の
大部分は潜在意識で決められているからなのです。表面的理由だけでは説明がつかない人間の行動があるの
はその為です。「悪いと解っているのに、なんであんな事をするのだろうか?」とか「結果が見えているのに何で
そんな事をするのか?」という類の疑問は社会の中に沢山存在しています。しかし潜在意識をしっかり把握する
事が出来ると「説明出来ない行動」は一切ありません。すなわち「不可解な行動というものはない」という事です。
この潜在意識を作っているのも「沈黙の壁」です。ですから表面だけではなく心の奥まで十分調べられれば
「何故不正をするのか?」という事も理解可能なのです。勿論理解出来たからといって直ちに解決出来るという
ものではありません。しかし、まず理解すると言う所から始めなければならないでしょう。

しかし潜在意識の研究はとても難しい物があります。何故なら、潜在意識とは自分が「悪い事」と思い込んでいる
「強迫観念」を自分は「ない」と思い込みたい為に押しこんだ(抑圧した)感情だからなのです。言い換えるなら、
変更不可能な「善悪の価値観」を持っていると、潜在意識は見る事が出来ない。という意味でもあります。しかし
「問題解決」の為にはどうしても避けて通れない道でもあるのです。ほとんどの人間がこの道を避けて「なんとかしよ
う」としている為に、いつまで経っても人類は「人類の社会に横たわる問題」を解決出来ずにいるのです。自分の
中身を見る事はほとんど本能的に避けようとします。その為の意見は沢山出てきます「そもそも問題なんてないん
じゃないの?」とか「なにも私が問題解決しなくても」とか「人類が絶滅したっていいじゃないの、どうせその時皆で
一緒に死ねばいいだけだし」とか「私の所に降りかかって来ている問題じゃないし」とか「なにもそんな事しなくて
も他にも方法はあるのでは?」とか。とにかく沢山の人達がそこから潜在的に逃げようとします。それほど怖い物で
もあるのです。ですから潜在意識の研究は慎重に行なわなければなりません。とっかかりは「自分の事は棚に
上げる」と言うところが必要かも知れません。
人間の言動はほとんど潜在意識の命令によっていますから
「自分の事はさておいて」他人の言動を分析する事で、その人の潜在意識を知る事は思いのほか簡単です。
しかし「解ったから」といって、決して他言しないで下さい。時々見かける事で、精神分析の用語を使って他人を
非難する人がいたりします。これは結構危険です。怖いから抑圧しているものを、いきなり提示されたら「恐怖」
でパニックを起こし、何をするかわかりません。自殺をする事もありますし、他人を傷つける事もあります。下手を
すると殺される事もありえます。その辺の事を十分理解しておかないと、かえって混乱を招きます。潜在意識で形成
されている人間はそれだけ「真実」から遠い所にいると思われます。そして虚構の上に立って「なんとか自分を保っ
ている」のが現状の様です。すなわちとっても精神がもろいので、簡単に崩れてしまうのです。だから「真実」を突き
つけられるほど怖いものはないのです。このことは「せっかく平安を保っているんだからなにも波風を立てなくっても」
と感じている「善意の人」が多く居る事で、なんとか彼らを守っているのですが、それだけ「真実」の探求は遅れて
しまいます。よく精神科に通院している患者が事件を起こす事があります。あくまでも私の推測ですが、医師が潜在
意識の取り扱いを誤ったのではないかと思っています。
フロイトは精神分析という治療の方法を発明しましたが、それによると「潜在意識を顕在化すれば症状は消える」と
いうものです。しかしそれでも治るには程遠い物があります。少しずつ本人が「安全」と確認しながらほどいていかな
いと、大変な事になるのです。そこで現在では治療方法が少し変わってきています。この事は後ほど改めてお話す
る事になるでしょう。すなわち急ぎすぎて「君は潜在的にコレコレと思っているんだよ」などと指示してしまうと、必ず
大きな混乱が訪れます。マニュアル頼りの精神科医がよく起こす誤りです。しかしマニュアル頼りなのか、そうで
ないのかは病院内では区別しません、それは医師集団という閉鎖的な集団が互いにかばいあうという所あたりと
無関係ではなさそうです。病のなかでも「精神的病」というのは社会の歪に対する自然界からの警鐘であると私は
個人的に感じています。病の中に「人間社会」が凝縮されています。それを見極める能力が要求されるのです。
それ以外の方法では、治す事はほとんど不可能です。見かけの症状をなくしても根本的な治癒がなければすぐに
再発してしまいます。ですからそれを取り扱う医師やセラピストは「感受性」が必要であり、なにより患者個人
の「人間の尊厳」に配慮しなければならないと思っています。しかし残念ながら現状では十分理解されていない様
でもあります。そのため精神科での「患者の自殺」は珍しいものでは無いようです。また時には患者が暴れ出す事も
ありますが、それらは医者の不手際と判断される事はなく、「患者の一方的、病のせい」にされてしまいますし、
もともと「精神科」は世間と隔離されがちな為、なにが行なわれているかは、ほとんど知られる事がないでしょう。
基本的に「精神的病」に対する人々の差別意識に未熟な医師は助けられているとも言えるかもしれません。
「精神的病」に対する差別意識が何故起こるのかも「潜在意識」を研究して人間の「心の構造」を知る事が出来れ
ばおのずと理解できます。すこし話がとんでしまいましたが「心の構造」を知ることで問題解決の糸口がやっと見え
てくるのです。ここでは「潜在意識」についてあまり詳しくは説明しません、ですから興味をもたれたらその関係の
書物は沢山ありますので、是非自分で探求してみて下さい。最初はやはりフロイトが良いと思われますが彼は精神
分析の創始者ですのでそれなりに手探りの部分があるので、全面的に肯定するものではありません。その後の精
神分析の発展や流れを見ていく上で基礎という意味で一読を推薦しますがやや学術的すぎて難解かも知れませ
んので、初心者の方はもう少し読みやすいアリスミラー等が良いかも知れません。

「そんなに難しい潜在意識なんて研究できるのか?」と思う人もいるかも知れませんが「善悪」の価値観さえ抜いて
考えられる様になれれば、意外と簡単なものでもあるのです。普通の生活の中でもほとんどの人は他人の潜在意識
は見えているのですが、お互いに「見て見ぬふりをすることで平安を保とう」とする暗黙の了解の基に社会が成りた
っている所もあります。しかしこのやりかただと「不正の出来る人達」が不正をしやすい社会になってしまうのです。
何故なら
「潜在意識を不問にする社会」は「表面だけで人間を評価する社会」
になってしまうからです。すなわち、見かけ
さえ作る事に成功すれば、それで十分という社会になれば「不正の出来る人達」が心の中でどんな悪巧みをしよ
うが「見付かる事がない」という安心感を与えてしまう事になるのです。例えば詐欺師が身なりをきちんとして言葉
づかいをしっかりして、十分自分は信頼出来る人間であることを、表面的に整えれば「疑われる事」がなくやすやすと
人を騙せるでしょう。又「建前」の奇麗ごとを並べ立てる事にたけていれば、やすやすと政治の世界にだって入る事
が不可能ではなくなるのです。「不正の出来る人」は基本的に「策略」とか「建前を並べ立てる」等にたけているのが
普通です。「建前と本音」がある事自体すでに「嘘つき」ですよね。勿論「本音」というのは潜在意識ではありません
潜在意識というのは自分で「そんな感情(欲望)が自分の中にある事」を絶対に認めるわけにいかない意識の事で
す。そして他人から指摘されて「まぁ自分はそういう所もあるかもしれないな」と認めることが出来るのは「前意識」
と呼びます。「本音」は明らかに自分で顕在的に意識していますが、「他人」には公表出来ない意識の事です。勿論
「本音」も「前意識」も「潜在意識」から作られていますから深い関係にある事には間違えありません。例えば「優越感
を持つ事は悪い事」という価値観があったとします。自分で「優越感」を持っていることを意識しながら「建前」で「い
やぁ別に馬鹿になんかしてないよ」といっている場合は、この「優越感」はただの本音ですが、本気で「自分は優越感
からそんな事言ってるわけじゃないよ」と思って居たのに「それって優越感じゃないの?」といわれて「そういわれれば
そうかもしれないなぁ」と認められるのは「前意識」です。「絶対そんな事はない」と頑なに反発し、時には怒り出す場
合は特に「怒って相手を黙らせようとする場合」は「潜在意識」の可能性は大きいと思っても間違えがなさそうです。

すなわちこの例でもわかる様に「悪い事」と思っている「程度」によって同じ物でも「本音」になったり「前意識」になっ
たり「潜在意識」になったりするわけです。勿論優越感は悪い事ではありません。しかし「潜在意識」にしてしまうと
「無自覚」に人を差別したり、愚弄したりして他人を傷つけてしまいます。この「無自覚の行動」というのが人間社会
で様々な問題を起こしているのです。ですから「悪い事」というのが少しでも和らいで初めて「潜在意識」は「前意識」
になり「本音」になりやがて他人にも発表できる「顕在意識」になるのです。勿論社会の風潮とか周囲の環境とかあ
りますので「本音」どまりの場合もありますが「自覚」出来てさえいれば「無自覚の言動」は避ける事が出来るのです。
又「潜在意識」が多すぎると抑制機能が発達しすぎて「大切な事」すらも忘れてしまったりします。すなわち記憶力の
低下とか時には理解力の低下や考察力の低下も招きます、これを「無能化」と呼びます。勿論幼少時の記憶もか
なり抑制される事になり「子供」を理解する妨げにもなります。歳をとって「ボケる」のもこの抑制機能が発達しすぎた
為と私は判断しています。すなわち健全な人生を送ろうとするならぜひ「善悪の価値観」を少なくする努力をお勧め
します。
勿論「うそつき」は悪い事ではありません「不正が出来る人」も悪者ではありません。
どうやってその様な人格が形成されたか?という事を探ることが大きな目的です。
すなわち「どうすれば不正が出来る人を作る事が出来るのか?」
逆説的には競争社会で「不正、策略、陰謀、建前」を駆使して「不正も実力のうち」と合理化し競争社会
を駆け上がり大衆の指導的立場に立ちそこから莫大な富を手に入れることの出来る人を作るにはどうしたら良いの
かのノウハウを手に入れる事が出来れば問題の本質を見極める事が出来るだろう、そしてそこから「不正の出来る
人」を作り出さない努力が可能なら、すなわち世の中が「不正の出来ない人」で溢れる事になれば競争社会も、そこ
そこ安心出来る社会になれるかもしれないし、そして最終的には人間に上下優劣のない「横社会」の実現も不可能
ではないのではなかろうか、という事です。勿論それには気の遠くなるような時間が必要でしょう。子、孫、ひ孫、
玄孫(やしゃご)の代までかかるかも知れません。でも完全解決出来るなら、急場しのぎで、同じ事の繰り返し
をしているよりはるかに有意義ではないかと思っているのです。

ここで今までの事を整理して見ましょう。
私は戦争のない社会の実現を願っています。それは私の感情です。ですから戦争を望んでいる人とは「感性」が
違い過ぎますので、彼らを説得しようとは思っていません。又戦争のない社会を望んでいるが、それは抑止力で
可能だと思っている人とも意見が異なり、彼らとの接点はないと思われます。そして永遠に戦争がない、と保障
される社会は、上下優劣のない「横社会」だろう、と結論づけています。しかし「横社会」は「力ずく」のない社会です
から、それを「力ずく」で作ろうという発想は発想自体が間違っている。すなわち「力ずく」では「横社会」は作れない。
と結論付けている、という事です。でも「横社会」に到達する為にはかなりの時間が必要でしょう。そこで「競争社会」
の「縦社会」も「不正」さえなければ、そこそこ安心の出来る社会かもしれない、と思っているのです。しかし「不正」
も「抑止力」(力ずく)で防ぐ事は不可能だろう、と思っているのです。だから現在人類の半数近くはいるだろうと推測
される「不正の出来ない人達」と協力する事で「不正の出来る人間」を作り出す機構を解明して「不正が出来ない
人間」を増やす事で、安定した「縦社会」を作り出す事も可能ではないか?と思っているのです。「安定した縦社会」
とは「下にやさしい縦社会」すなわち「弱者や敗者」に絶望を味わわせない社会という事になります。それが「力ずく」
でなく実現出来れば、横社会への移行もスムーズになるのではと思っています。この「力ずくでなく」というのが重要
です。

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