アルファ
症候群

しつけ

 「しつけ」と言っても、人によりイメージとかニュアンスが違ってしまっては、話が通じない事がありますので、私が「しつけ」と呼ぶ時の内容を先に記しておきたいと思います。

 私が「しつけ」(あえて漢字を使いません)と呼ぶものは心理学で云うところの「回避学習」に限定して言っています。
すなわち、子供に恐怖心を起こさせ、親の言う事を強引に聞かせようとする行為全般をさしているのです。

例えば

 怒る、どなる、はたく、殴る等の直接肉体的苦痛に訴えるものや、食事抜きの様な空腹に訴えるものや、閉暗所に閉じ込めたり、表に追い出し締め出しをするもの、椅子や柱に縛りつけたりして精神的苦痛に訴えるもの等直接的なものの他に、突然機嫌を悪くしたり、夫婦喧嘩を始めたり、子供との感情の交流を断ち切り間接的に、子供の不安を引き起こさせ親の言う事を聞かせようとするものも含めます。

だから

 親の行動を見て、それをモデリングにして良い行動をとったりする行為は、しつけとは呼んでいません。単に学習です。例えば親が知人に挨拶をしているのを見て、子供が自然に挨拶をするようになった、とした場合はしつけではありませんが、親が挨拶をしているのに、子供がぼーっとしているのを見た親が、頭を押さえて「ほら!きちんと、あいさつしなさい!」と恫喝するのは、しつけにあたります。

しかし

 私は「しつけは悪い事だ」とか「しつけをしては、いけない」とか言おうとしてる、訳ではありません。そんな事を言っても無意味な事を知っているからです。何故なら「しつけ」と云う行為は理性の入りにくい行動だからです。子供の行動を見ていると、最初にイライラし始め、ついには、ムカッ!と来て思わず行動を起こしてしまうものなのです。おびえる子供を見て、「やりすぎたかな?」と思っても、どうにも止められないのが、しつけの本質です。それは自分がしつけられた事と無縁ではありません。この事実は、現実的に考え様とする場合非常に重要な問題なのです。無責任に、他人事なら「ああすれば良い」「こうすれば良い」と言えるのですが、それだけでは、なにも始まらないし、なにも変わらないのです。

ただ

 児童虐待はあまりにもむごすぎるので、一刻も早く子供達を助け出したいという気持ちがここに緊急提言と云う形で沢山の人に呼びかけたいと思ったのです。
 虐待をする親には基本的に理性はありません、あるのは恐怖心だけです、普段の社会生活でもいつも他人を傷つけたい気持ちを持っているものなのです、しかしそれを行動に移せないのは、理性ではなく恐怖心だけです。
ですから、他人に知られる可能性の低い所では他人に(ここで言う他人とは自分自身ではない、と云う意味すなわち家族でも他人)猛烈な攻撃を始めてしまうのです。これが「良いしつけ、悪いしつけ」をどんなに議論しても何も変化しない理由です。ですから彼らは「子供を甘やかすと、犯罪者になってしまうかもしれない」と聞くと、こどもに激しいしつけをしてしまうのです。

そこで

 反対に「しつけをしすぎる方がかえって危ない」という情報の方が彼らを動かしえると考えられるのです。出来ればしつけを否常識化したいのですが、現状では難しいのでせめて、「しつけ」を美化しないようにしたいと思います。
しつけの弊害をもっと多くの人が正しく認識する事が出来れば、もしかしたら、今まで死ぬまで殴っていたものが、軽いけが程度で済ませるかもしれないし、ぐったりするまで殴りつずけて居たものが怪我しない程度に済ませるかもしれない事を期待しているのです。

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学習

 

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