常識

 
 

 大人は良く「常識」と云う言葉を使います。時には「あたりまえ」と云う言い方もします。しかし、彼らはこの常識と云
うものが、どう云うものかは知らないのが普通です。ただ、彼らにとって都合が良いと云うだけで、深く考えたこともな
いし、第一考えられません。
 しかし、私が、よくよく調べ考えをめぐらしたところ、ほとんどの常識は「戦争」の方向を向いていたのでした。
何故なら、人類数千年の歴史は、ほとんど、戦争の明け暮れでした、というか、今でも続いています。そんな戦争を
継続する為に、必要な事は戦争に向いてる人作りになるのは、免れない事だったのです。

戦争に向いてる人って

 良い言葉でいえば、勇敢な人です。悪くいえば、残虐性を持っていて、敵に対して容赦の無い人です。そしてなに
より個性が無く、いつでも「取り替え」のきく人が必要とされます。そのような人を創り出す為に、人類は長い年月を
使って、より優れた「常識」を完成させてきたのです。ですから先祖から代々受け継がれてきた、これらの常識は
反論の余地が無い様に見えます。そして、なにより、殆どの人が成長途中で少なからずこの常識をたたきこまれま
す。それは、中途半端に常識に立ち向かってもまったく歯がたたず、結局常識に押し戻されてしまうと云う事です。

しかし

 戦争はもういやだ、と云う強い意思があれば、常識は根底からくつがえさなければなりません。そして、私は戦争
が嫌いです。だから、常識を少しずつ否定していくつもりです。この本文のなかにも、随所に非常識な事が書かれ
ている所を見る事が出来ると思います。少しでも常識の恩恵にあずかっているものは、途中で挫折するかもしれま
せん。本当に常識の壁は厚いのです。しかしどんなに厚くてもそれを破っていかないと、戦争はなくなりません。
いや、戦争だけではありません、犯罪やいじめも、この戦争に向いてる人達によって起こされている問題です。

例えば

 努力や苦労はしてはいけません、心が狭くなってしまうのです。努力したり、苦労して何かを乗り越えた人は、他人
にも努力する事を強要してしまうのです。他人の事情も考慮にいれずにです。ここに人間間の摩擦が生じます。
争いの元はほとんど、ここにあります。努力なんかしなくても、自分が好きなものなら、一生懸命になれます。そして
なにより、素晴らしい成果が期待出来るのです。例えば、TVゲームに夢中の人を考えてみましょう。彼らは誰に言
われるでもなく、夢中になり、すごい努力をしている様に見えます。しかし彼らは「努力」をしている感覚はないのです
ですから、他人に努力を強要しません。プロの野球選手もほとんど、努力しているのではなく、好きで好きでたまらな
いのです、そう云う人がほとんど一流になるのです。ドイツ語の言葉で「ガンツ」と云うのがあります。うまくやってる
けど、「うん、上手だね」と云うところ止まりの時につかいます。日本語にすれば「悪くないね」と云う言葉にもう少し
皮肉を含めた言葉です。努力をする人は「ガンツ」どまりです。だから、努力はしない方がいいのです。努力なんか
なまじ、した奴に限って「常識」をふりまわし、人を脅かしにかかってきます。「苦労は買ってでもしろ」とか、そんなに
苦労したかったら、いくらでも売ってやる「いくらで買う?」って言ってやりましょう。

自我のない人

 本文で「自我」と出てくるが、普通の話し言葉で言えば、「心」と言い直せば一番実情に近くなるんだ。
例えば自我の育っている人なら「心ある人」って思ってもそんなに遠くないし。自我喪失は「心の無い人」って思って
もらって良いと思うよ。あるサイトでこんなの発見したので、例として話を進めたいと思うんだ。

ここをクリック

 ここに出てくる、担任の先生、校長先生、いじめっこ、いじめっこの父親ぜ〜〜ぶ自我喪失!
心ない人って思えばなっとく出来るでしょ。彼らは、みんな「うそつき」どうやってこうゆう人達が育つのか、いじめっ子
を見てみると、良く解るよね、彼は「いじめてはいけない」「うそをついてはいけない」って良く知ってるんだ。
だけど、親の見てない所では、弱そうな奴を見ると、いじめたくなっちゃうんだ。で「僕いじめてなんかいないよ」
っておとうさんに言えば「そうだろう、そんな事したら、どんな目にあうか良く知ってるはずだからな」ってその「うそ」を
見逃しちゃうんだよね。そうすれば、彼は心の中で「そうか、うそはついちゃいけないけど、うそついてないってうそを
つけばいいんだ」って学習する事になるんだ。
 これだけなら、あまりどうって事ないみたいなんだけど、このいじめっこみたいなタイプは恐ろしい事に、だいたい
知識の詰め込みには、向いているんだ。(本文にあるACTHのおかげで)考える能力はまったくないんだけど、考え
方のマニュアルを詰め込む能力にたけているから、一般的に学校での成績はよくなるんだ。だから、考える問題で
も、この場合はこう考える、こう云う場合はこう考える、この時にはこう、といった考え方を目いっぱい詰め込めば
試験なんてちょろいもんなんだ。自分では一切考えられないから、疑問を持つと云う事がない分、頭はすっきりして
迷いがないんだよね。だから、教わった事を教わった通りにいくらでも、詰め込めるんだ。

って事は

 大きくなると、高偏差値が夢ではない、って事になるわけ、って事は、公務員試験とか校長試験とか、なんなく
クリアー出来るって事なわけ。解った?だから、担任も、校長もみんな、このいじめっ子と同じ人種なんだよ。
でね、そんじゃあ、いじめられっ子のお父さんはって云うとどうかな?みんな応援したくなるけど、残念ながらやっぱり
自我がないのよね。別に悪口言ってるわけじゃないよ。心情的には応援したいんだから。でもそう云う問題じゃない
んだ。彼は校長憎し、担任憎しって心で固まっちゃって、肝心の事すっかり抜けちゃってるんだよね。
一番大事なのは、我が子じゃないかな?彼の心が読めたら、いじめを発見した時点で、学校やめさせるべきだと
思うよ。そしたら、彼はいじめっこと縄跳びしなくて、すんだのに。こんな風にいつでも争いには一番弱いものが
犠牲になるんだよ。そして、争いとか、戦争とか、犯罪って、こんな「心のない人」が創り出すんだ。

でもね

 彼らは悪者じゃないよ。彼らはね、普通の人が想像もつかないような「恐怖心」を持っているんだ。彼らはそれを
必死に潜在意識に抑えこんでいるから、自分でも、怖がっている事を意識出来ないんだ。もし心の扉を開いたら
彼らは確実に気がおかしくなるよ。そのくらいすさまじい恐怖なんだ。この恐怖がうそをつかせるんだ。だから、うそ
をついてはいけない、とか云う問題じゃないんだ。宇多田ひかるは恋愛感情の事を「Automatic」(自動的)って
歌っているけど、人間の感情は全部「Automatic]なんだよ。そんな恐怖があるのに「うそをついてはいけません」
なんて常識まったく無力だよね。多少自我のある人にはこの常識結構つらいんだ、って言うのはね。何かのひょう
しに、怖いからポロッとうそついちゃったとすると、「あっ、いけないうそついっちゃった」って自分を責めちゃったり
するのね。完全に自我を失っている人はうそついても、自分がうそついてる事すら意識できないって云うのにね。
だから、この常識もブ〜〜〜〜〜〜

こんな人間が

 どんどん増えてるって云う事はね、西洋式育児法が入ってきたのも関係あると思うよ。日本でも上流階級と呼ば
れる人達は昔からだけどね。先ず病院で出産が当たり前になって、その病院の看護婦とか、医者が試験がとくい
なマニュアル人間にどんどん代わってきたので、妊婦の扱いが無神経になったのね。赤ちゃんを親と別々に寝かせ
る育児法、自立心を育てるとかいってるけど、赤ちゃんの恐怖心は置き去りにされて、心のない、学校の成績だけ
が良い子供に育っちゃうんだよ。でこれを自立心と勘違いしちゃうんだよね。でも試験に強けりゃ結構な話じゃない
か、って思う人も居るかもしれない。だけど、彼らは挫折をすると、なにをどうしていいのかさっぱり解らなくなっちゃ
って、思わず心の扉を開いちゃうんだよね。完全に頭おかしくなっちゃって、とんでもない事しでかしちゃうんだよね
こんな現象は、なにも日本だけでもないし、現在だけでもないんだよ。ドストエスキーの「罪と罰」の主人公なんて
典型だよね。勿論さいきんのハイジャック犯も同じ。一流の大学でているもんね。

 

不登校って

 不登校の原因ていろんな所でいろんな人がいろんな事言ってるけど。結局本人すらよくわかんないんだよね。それ
はね、誰もが「常識」にがんじがらめになっているからなんだよ。だから「常識」徹底的にはずして考えてみようよ。
 子供の頃、少なくとも小学校にあがるくらいまでは、両親から大切に育てられると、多少のしつけを受けても、そこ
そこ自我が育つんだよ。自我が育つと云う事は他人の気持ちが読める様になるって事なんだ。
 だけど、小学校に入ると自我のない先生達が、自我を抑えにかかってくる、って云うわけ。これってつらいけど、他
人の心が読めちゃうから、お母さんやお父さんや、先生を悲しませちゃいけないって、けなげに頑張るんだ。これが
だんだん積み重なってくると、心がかなり重くなってくるんだよ。そして思春期に入ると、ますます他人の心が読め
ちゃって、特に同じ年位の子供達の方に心が向いた時、自我のない人をいっぱい発見すると、潜在意識は、彼らの
抱えているとんでもない恐怖を感じてしまうんだ。これは自我のある人には結構きついよ。自我のない人はもともと
心をとじてるから、他人の恐怖心なんてなんにも感じないけどね。そして、ふと回りを見渡せば、なんと先生も、もしか
したら、両親まで、自我がなかったら、まわりを妖怪変化に取り囲まれているような、感覚になっちゃうんだ。こんなに
なっちゃったら、学校なんて行けっこないよね。

これは

 心の中の話、意識では「学校いかなきゃ、なんない」「勉強しなきゃ、なんない」「お父さんやお母さんの言う事きか
ななきゃ、なんない」「先生の言う事きかなきゃ、なんない」「友達と仲良くしなきゃ、なんない」こんな常識でがんじがら
めになっちゃってるんだ。妖怪変化のご馳走と武器は「常識」なんだ。だからここで「常識」いっぱい食べて自分も妖
怪変化の仲間になるか?それとも、自分をつらぬきとうして、人間として生きていくか?今選択をせまられているん
だね。でも、自我が育ちすぎてると、絶対妖怪にはなれないよ。両親はなんとかして「常識」をのみこませようと、あの
手この手でせまってくるけど、自我が育ちすぎてると、本当に気持ち悪くなって、もどしたり、食事がのどを通らなくな
ったり。最後には精神的病にかかっちゃう事もまれじゃないんだよ。

妖怪の中でも

 ときどき、頭の良い妖怪もいてね、君をさみしくさせて、そこにつけこんで、やさしくしてくる妖怪なんかにあっちゃっ
たら、君も妖怪になるしかないね。
この妖怪は、やっつけても、やっつけてもすぐに行きかえってくるゾンビみたいなやつなんだ。だから、こいつらを、
退治するには、餌になる「常識」を徹底的になくす以外に方法はないよ。それには君も「常識」を徹底的に知る必要が
あるんだ。どうしてなんだろう?っていつも考える必要があるよ。

 
 

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