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とりこまれ不安とみすてられ不安


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  「子供に恐怖を与える」と聞くと、どうしても反射的に「なぐる、ける、はたく」とか「どなる」といった事を思いつくかも知
れませんが恐怖の与え方はそれだけではないのです。どなる、なぐるも含め「恐怖を与える」方法は大きくわけて2種
類に分類出来ます。一つは「直接的攻撃」もう一つは「間接的攻撃」です。勿論なぐる怒鳴るは直接的攻撃ですその
他に縛る、暗所に閉じ込める等例をあげればキリがない位あると思います。夫婦喧嘩をする、とか兄弟を叱る等は
間接的に恐怖を与えている様に見えますが、どちらかというと「直接的」に分類します。これら直接的攻撃は表面に
現れやすいので理解しやすいのですが間接的攻撃となると、ちょっと難しい物があります。基本的には「感情の遮
断」すなわち「突き放し」になります。親が怒っているが直接的に叱らずに無言になるとか親が泣く、悲しむ、がっか
りするとか他の子を引き合いにだして誉めるとかけなすとか理屈を並べ自分の感情を閉じ込めるように説得すると
か。そしてもっとも子供が恐怖しているという事を、大人が理解出来ないものに「他人に預ける」というのがあります。
日本ではあまり見かけられないのですがベビーシッターに預けるというのもそれにあたるでしょうし、保育園に預ける
というのも子供に大きな恐怖を味あわせるのには有効です。ただしこの場合個人差があるので慎重な検討が必要で
もありますが。預けた時子供が泣き出したら私の個人的見解ではやめたほうが良いと思います。「じきになれる」と
いうのはあまりにも「子供の感情」を無視しすぎています。結局「恐怖心と攻撃心をセットに潜在意識に押さえ込む
事」が「なれる」という現象です。「がまんする」という事ですね。すなわち「表面的解決」だと思います。これは思春
期になって表面化して重大な現象として現れて来てしまうのです。この間接的攻撃は親の罪責感を和らげる効果が
ありますが、子供は「みすてられ不安」を内在してしまうのです。勿論「悪い事」と言う意味ではありません。親の負
担が軽くなる事も時には必要です。そして直接的攻撃を受けた子供は「とりこまれ不安」を生じます。実際には硬軟
取り混ぜて育てるので、ほとんどの人は両方持っているのが普通です。しかしどちらかと言えば、となると「とりこま
れ不安」の強い人と「見捨てられ不安が強い人」に分類可能です。いいなおすと「直接的攻撃」を多く受けた人は
「親とは強い人である」と思っているし「間接的攻撃」を多く受けた人は「親は弱い人」と感じています。ですから

親を強い存在だと思っている人は
「とりこまれ不安型」
親は弱い存在だと思っている人は
「みすてられ不安型」
と分類しておきましょう。

大人になると子供時代の恐怖は潜在意識に押さえ込まれて忘れてしまいますが、子供は大人が思っているより数段
大きな恐怖を感じているのです。この恐怖は「そのくらいの事で」で済まされないくらい子供には重大な問題なので
す。その為恐怖は忘れてしまっても「不安」と言う形でいつまでも残ってしまうのです。
現象面で見ていきますと子供時代は「お母さん私を見ていて!」と言うのが「みすてられ不安型」。「お母さん、あっち
向いててよ」と言うのが「とりこまれ不安型」とりこまれ不安型は親の「強い部分」に同一化したのですから大きくなる
と親に直接的に反抗します。口喧嘩したりしますがあまり暴力を振るう所まではいきません。それは「親の方が強い」
という感覚が抜けないからです。外に対しては「強い親に同一化」していますから、どうしても弱者にあたる、いわゆる
いじめっこに成りやすい所があります。思春期には家出をしたり、とにかく少しでも親と離れていようとします。大人に
なって家庭を持つ時も結構親から離れた所に住みたがります。親の干渉を最小限に少なくしたいのです。一方「みす
てられ不安型」の人は「がまん」するだけ我慢してしまいますので、一旦我慢の限界を超えると爆発して暴力的にな
ります。基本的に「みすてられ不安型」の子供はがまんの限界が表面的には低いように思われ、簡単にキレル様に
思われがちですが、その以前にかなり沢山の我慢が背景にあるのです。そのみかけが「あまやかされている」と見
えてしまうので非常に誤った判断をされがちです。すなわち「甘やかされて育てられたからすぐに暴力に走るのだ」
と思われてしまいますが本人は言語化できないだけで実際にはかなり重い負担を負わされているのです。ここにも
表面だけで判断する事の怖さがあります。
「みすてられ不安型」の人は「親の弱い所」と同一化していますから(すなわち「親の弱さ」が恐怖だったのです)
社会生活に支障をきたす事もまれではありません、精神的に弱いのです。そしてとにかく、親から離れられなく
なってしまいます。「私がいなくなったらお母さんは駄目になってしまう」という脅迫観念を潜在的に持ってしまうの
です。ですから勿論家出は出来ません。むしろ「ひきこもり」になってしまいます。よく「マザコン」と呼ばれる人達は
表面的には母親になんでもやってもらって、とりこまれていると思われがちなのですが。潜在的には「つきはなされ
て」いるのです。親から子への感情の押し付けはあっても、子から親への感情は一切拒絶されています。(つきはな
されている)
その為自分の感情になんら自信がもてなくなっています。すなわち自分の意志で行動を起こすと親が
駄目になると思いこまされているのです。「親に自分の事をさせてあげなければならない」という脅迫観念を持たされ
ているのです。勿論自分の感情なんていう物は表面に出す事なんて論外です。親から、親からです、自分自身の
感情を承認してもらわない限り、他人からの承認ではどうする事も出来ません。その為いつまでも親にしがみついて
いるのです。現在は直接的攻撃の方は虐待等の問題がある為に社会的に見直す機運がなくはありませんが「間接
的攻撃」に関してはほとんど知られていないのが現状です「マザコン」はどうしても社会的に「本人の自覚の問題」で
片付けられてしまいますが。私の目からは明らかに
「受動的虐待」
に他なりません。勿論これは突き放しの極端な例ですが、子供の感情を無視するのが突き放しです。勿論子供の
取り扱いには「突き放し」と「取り込み」の二種類だけではなく「子供の感情を受け入れる」というのがありますがここ
では「しつけ」すなわち親の感情を子供に押し付けるパターンについて検証しています。すなわち「怖がらせ方」につ
いての考察です。いずれにしても現在の所「しつけ」が「良い事」に分類されていますのでほとんどの人は「しつけ」を
経験していますので虐待までいかなくても多かれ少なかれ、ほとんどの人はこのどちらかの型に分類可能です。

そして「みすてられ不安型」の人と「とりこまれ不安型」の人では「不安の形」がまったく正反対なので、まったく反対の
価値観を持ってしまいます。ですからこの二つの型同士ではどうやっても話があわない事になります。「みすてられ不
安型」の人は「とりこみ型」になり「とりこまれ不安型」の人は「つきはなし型」になります。すなわち「みすてられ不安
型」の人はどうしてもさびしいので他人を取り込む方向に行動しますが、それは「とりこまれ不安型」の人には恐怖な
ので突き放そうとします。「とりこまれ不安型」の人は他人との関係でいつも一線を画し、時には一人を楽しむ事が出
来ますが、それは「みすてられ不安型」の人にとっては「嫌われた」と感じてしまうかも知れません。「みすてられ不安
型」の人は絶えずなんらかのつながりが欲しくて一人になる事はほぼ恐怖になります。
ですから「とりこまれ不安型」の人は親元を離れて自分の感情で自分のやりたい事を自分のやりたい方法でやって
いく事が可能なので、わりと早く自我(エゴ)を回復する事は可能です。所が「みすてられ不安型」の人はとにかく「自
分なりのやり方」どころか「自分がなにを本当にやりたいのか?」すらも出てきません。どうしても「親がしてもらいた
がっていた事」が頭から離れないのです。ですから「みすてられ不安型」の人は親以外の信頼置ける人との基本的
人間関係を再構築する所から始めなければならないかも知れません。それでも親の影を払拭する事はかなり難しい
ものなのです。何故なら「親は弱い者であり自分がいなければ死んでしまうかも知れない」という恐怖を与えられてい
るからです。いやそれは幻想だけでなく本当に死んでしまうことすらあるのです。この恐怖は殴られるよりはるかに怖
い物です。「みすてられ不安型」の人は「いっそなぐったり怒鳴ったりして貰いたかった」と言う事もしばしばです。弱い
親が怖かったので、親がもっと強かったらよかったのに、と思っているからです。その為「みすてれ不安型」の人が
精神的病になってしまったら親ごとのファミリーセラピーが必要かも知れません。これは結構厄介です。この問題は
精神的病の所でもう一度とりあげましょう。

さてこの「みすてられ不安型」と「とりこまれ不安型」について子育ての場面で不思議な現象を私は発見してしまいま
した。「とりこまれ不安型」の人は「叩かれたり、怒鳴られたり」するのが嫌いで自分の心の中にずかずか入って来る
人を嫌うので、どうしても「突き放して」しまいますが、子供に対してもそうなる可能性は大きいのですが。不思議な事
に同性の子供と異性の子供では接し方が違ってしまうのです。しかも第二子、第三子、と扱い方を変えているようで
もあります。
具体的に整理してみますと「とりこまれ不安型」の人は「つきはなし型」になりますが。同性の第一子を「突き放し」
第二子を「とりこみ」第三子を「突き放し」と交互に行ないます。そして異性の第一子を「とりこみ」第二子を「突き放し」
第三子を「とりこみ」と交互に行なうのです。そして「みすてられ不安型」の人は見捨てられる恐怖が大きいので誰彼
かまわず「とりこもう」とするので「とりこみ型」になりますが、同性の第一子を「取り込み」第二子を「突き放し」第三子
を「取り込み」異性の第一子は「突き放し」第二子は「取り込み」第三子は「突き放す」のです。ややこしいので、もう少
し具体的にして見ましょう。

ここに「とりこまれ不安型」の女性がいたとしましょう。多分彼女は親元を遠く離れた所に家庭をもつでしょう。そして
彼女が第一子に女の子を産むと子供を突き放して育てます。そして第二子にも女の子だったとすると次女は取り込
んでしまうのです。もし第一子が男の子だったら、とりこみます第二子も男の子だったら突き放すのです。男の子と女
の子は別々に考えましょう。第一子が女の子なら突き放し第二子が男の子の場合は男の子としては第一子なのでこ
の場合もとりこみます。かなりややこしいのですがじっくり見ていきましょう。実際に自分の身近な所を例に考えると解
り安いかも知れません。見かけでは判断が難しいのですが「お母さん私を見てて」と子供が言ってるようなら、その子
は「みすてられ不安型」です「お母さんちょっとはあっち向いててよ」と言ってる子供の場合は「とりこまれ不安型」で
す。思春期の子供で判断するなら「家になかなか帰らない」とか「プチ家出をしてしまう」場合は「とりこまれ不安型」で
す家にひきこもりがちな場合は「みすてられ不安型」です。大人になってからの判定は、実家の近くに住むようでした
ら「みすてられ不安型」。実家から遠く離れて住むようでしたら特に外国まで行ってしまったら「とりこまれ不安型」で
す。外見的な親の態度ではあまりはっきりした判定は出来ません。どうやらほとんどの人は「しつけ」に対して潜在的
罪悪感を持っているらしく態度がどうしても「反動形成」になりやすく。取り込んでいる人は、突き放している演技をし
ますし突き放している人は取り込んでいる演技をしているみたいです。ですから子供でも「取り込まれている様な気が
しない」と感じたり「つきはなされている様な感じがしない」と思ったりします。しかし自分が親から離れたいと思って
行動に移したら、すなわち離れたら「とりこまれ不安型」です、親から離れたいと思っても何故か色々な事情がから
まってどうしても離れられなかったら「みすてられ不安型」です。

勿論子供はある時期から巣立ちますのでまれに健全に育てられた場合少しづつ親から離れ独立して親から遠く離れ
る場合もありますが、ほとんどの人が病んでいる現状では、かなり稀な事ではあります。このように「みすてられ不安
型」と「とりこまれ不安型」を分類する事は人間関係をスムーズにする為にも有効ですがなにより精神的病の人の取
り扱いは全く逆なので同じ方法では通用しない場合があることを知っておいて貰いたかったのです。

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