いよいよ

 潜在意識の解説に入ります。各人が持っている常識という名の脅迫観念がかなり厚いので、理解をさまたげたり
怒りを誘発する事が充分考えられます。ここで述べている事が、たとえ悪い事のように書かれていると感じても、くれ
ぐれも、善悪の感性で読まないように心がけて下さい。あくまで論理的に考え、なにがどうなってるのか?という事を
まず理解していく事が大切です。善悪の感性をぬいて考えると人間の心は以外と簡単なものかも知れません。
理解出来ないというのが、実は潜在的に「理解したくない」という感情だったりします。それを理解してしまったら、私
が悪者になってしまうじゃないか。という事より、自分の母親や父親を悪者にしてしまうかも知れない感情が優先
します。どんな事が出てきても、最後にどこにも悪者がいない事を理解できれば成功です。

潜在意識

 とは、幼少時(時には母親の胎内にいる時)から現在までの経験の積み重ね以外にありません。ここで言う経験
とは、実際に外界からの情報以外にも、考えたり、想像したりの内面的経験も含めます。時には転生の思想から
前世の経験を含める場合もなくはありませんが、ここではとりあえず取り上げない事にします。一般に必要のない
情報は抑制されて、いわゆる「忘れて」しまいますが、なくなるわけではありません。この只単に「必要ない」と脳が
判断して抑制されただけの情報も潜在意識ですが、いわゆる問題になる種類の潜在意識ではありません。時には
「ひらめき」の役に立つことさえあります。ですから、このような潜在意識はここでは取り上げません。

問題に

 なるような潜在意識とは恐怖心と怒りをともなった潜在意識です。この潜在意識は自分がまったく意識していない
のに、こころの深いところから自分自身の行動をコントロールしてくるのです。「やりたいのに出来ない」とか「したく
ないのにやってしまう」という行動はすべて、潜在意識の命令から生じています。これらの潜在意識はすべて幼少時
の経験でつくられたものです。ですから、これらの潜在意識をすべて解決出来たら、人間はおどろくほど自由になれ
る理屈です。しかし感情というのは言葉でいうほど簡単なものではありません。よく潜在意識を扱った書物に次の様
な話しがあります。

「あなたの一番きらいな人を思い浮かべてください・・・・・・・・・・・・・・・」

「それがあなたの潜在意識です。」自分が嫌いになるといった事を言う人もときに見かけますが。これが原因して
いるのです。自分の「好き嫌いの感情」と自分の行動(潜在意識に支配されている)との矛盾に悩むわけです。以上
の事を念頭において、個別の解説にはいります。

T 感情固着

 よく見聞きするものに「だきぐせ」という言葉を聞きます。赤ちゃんを育てている段階で赤ちゃんが泣くと「だきぐせが
つくから」という理由で、抱き上げずに「泣くのは赤ちゃんの運動のうち」とか言ってそのままに放置している事があり
ます。しかしこの「だきぐせ」というものは実際には実体のない言葉なのです。赤ちゃんが泣いているのは彼にとって
重要な何かが生じていて、ただちに母親になんらかの対処をしてもらいたい時なのです。これは口唇期欲求といって
幼児が生き延びる為にあらかじめプログラムされているものなのです。たえず適切に対処されれば徐々にこの口唇
期欲求は解消され、新しい自我が成長始める事が出来るのです。しかし上述のように適切に対処されないと。やが
て泣き方が「怒り」の泣き方に変わります。自我が喪失していない母親ならこの泣き声の違いを聞き分ける事は可
能ですが、自我が喪失していると聞き分ける事は不可能です。

それでもなお

対処されないと、赤ちゃんの恐怖が極限までに達した時自分を守るため「合理化反応」という精神活動で眠ります。
これで、母親は「ねむってくれた」とほっとするわけですが、実は赤ちゃんの精神の中に大変な事が起こっているの
です。一つには「抱いて欲しかった」という欲求もう一つには「母親にいう事を聞かせたい」という欲求そして最後に
自分の恐怖心を取り除いてくれなかった母親に対する怒りから生じた「復讐心」。
これらの感情が解消されずに成人してからも残るのを「感情の固着」または単に「固着」と呼びます。特に口唇期に
固着したものを「口唇期固着」と呼びます。

ですから

 「くせ」が問題なのではなく「固着」のほうが深刻なのです。赤ちゃんは自分の恐怖心をやわらげてもらいたいので
絶えずだいてもらいたがります。しかし自分に他の興味が生じれば、抱き上げようとしてもむしろ拒絶するくらいで
す。けっして「だきぐせ」というものは存在しません。なにも「だきぐせ」だけに限りません。「くせになるから」という理
由で赤ちゃんにした事はのちに必ず大きな形で「復讐」されてしまいます。ただし前にも書いた「自我喪失」状態で
それなりの成功(?)をすると「復讐」は両親に対しては表面化しない事もあります。しかし「残虐性」として、スケープ
ゴードに向けられるのです。

そもそも

「くせ」という概念は存在していないものなのです。人間はある程度自分が納得できれば飽きるものなのです。しかし
たえず禁止していると「復讐心」とあいまって、なかなか納得できずにあたかも「くせ」になったかのごとくに、生涯継
続する事はあるのです。ですから、くせを怖がるのではなく、固着に目を向けてください。そして自分が本当に納得
出来るもの、すなわち自分にとっての本来の才能にぶつかると、飽きることなく継続しますがこれはもはや「くせ」と
呼ぶようなものではないはずです。ただしあきるまでの時間はかなり長いので母親は(もちろん父親も)かなりの
「忍耐力」が要求されます。

U 攻撃

 口唇期だけでなく、成長期全般で「しつけ」という名目で沢山の「やりたい事」とか「欲しいもの」を禁止される事に
より、沢山の「復讐心」が潜在意識に蓄積されていきます。これらを母親や父親に向けると両親は恐怖して、その怒
りを受け止める事なく、他に向けようとします。それでも自分に向かいそうになると「恫喝」して抑えさせようとします。
しかしこの「復讐心」は抑えれば抑えるほど人間の行動を制限していくのです。すなわち人間の心は「復讐心」で
ふたをされた状態になってしまいます。なんにも考えられない、なんにもできない、ただ眠気だけが襲ってくる(合理
化)そんな状態になると劣等感が生じてしまい、ますますなにも出来ない悪循環のなかに入ってしまいます。
このような状態を「無能化」と呼びます。この状態から抜け出すには「攻撃」以外ありません。

すなわち

 怒りで行動するのです。やつあたりの様にあらゆるものに対して破壊的感情を向けることで、動けるのですが、こ
の攻撃に「禁止」的感情が付随してると(まずほとんどついてます)自己嫌悪に陥りますます悪い方向に向いてしま
います。こんな時「スケープゴード」と呼ばれる攻撃を受けてくれる対象があると少しは気持ちが落ち着きます。
このような状態に陥った場合、執拗に「馬鹿にしていい相手」とか「いじめていい相手」を捜し求める事になります。
差別感やいじめを本気で「悪い事」にしてしまうと精神的にかなりつらい状況になってしまいます。せめて「うそ」が黙
認されれば、建前と本音をつくって、少なくとも精神の破壊だけは免れるかもしれません。(建前と本音はうそつきで
なければ出来ない)また考える能力は自我にありますので、このような状態では正常に考えるという事が出来ません
そのため、いわゆる「流れにのる」状態になってしまうのです。親のひいたレールにのるとか、みんなと同じ事をする
とか、偉い人の云う事をただ無批判にきくとか、ほとんど流れに身をまかす以外に方法はとれません。

一方

 なんらかのきっかけで自我が少しだけ成長すると、エスが行動化しやすくなり。時には暴力的になることもあります
あるいは、暴走族のように「爆音」「スピード」「スリル」といった暴力に替わるものに興味をひく場合もあります。決し
て犯罪を擁護したり推奨するつもりはありませんが、このような状態になる前の原因について考えて貰いたいので
す。犯罪にならないためには、激しい音楽なんかもいいかもしれません。時には反道徳的な音楽も一時期「復讐心」
を忘れるには有効かもしれません。しかし自我が回復され、成長しないと、最終的には自分を犠牲にして両親を
どん底に落とす目的で過激な犯罪に走る事もまれな事ではありません。ほとんどの犯罪はその潜在意識的目的は
両親特に母親に対する「復讐心」なのです。これを知らないと「そんな事したら両親が嘆くのを知らないのかしら」と
いったようなコメントをする人もいますが、彼らは充分知っているのです。そしてそれが本当の目的なのです。そのく
らい、追い詰められている、と解釈してください。

V 操縦欲求と罪責感

 赤ちゃんが「復讐心」を持つなんて、と思う人がいるかも知れませんが、じつは「復讐心」というのは赤ちゃん特有
の感情なのです。順調に自我が育ち「おもいやり」がそだってしまうと、もはや「復讐」という感覚すらでてこないので
す。ですから、成長してもいまだになにかあると「復讐心」がでてくる人は、まちがえなく口唇期に固着しています。
口唇期に固着している人のもう一つの特徴は「操縦欲求」とよぶもので「他人を動かしたい」という感情です。これは
赤ちゃんの時母親を操縦して生き延びるためにあらかじめプログラムされていたものです。赤ちゃんは生き延びる
為に用心深くも出来ています。すなわち怖がりなのです。そこで怖くなると「泣く」などして母親を動かそうとします。
通常の哺乳類では「子鳴き」または「子泣き」に母親は逆らう事が出来ません。それが通常の哺乳類の母親の母性
に組み込まれているからです。しかし自我喪失している人間の母親は「子泣き」を理解出来ないのです。

母性感情

というのは自我に組み込まれているためです。勿論母性愛がないのはいけない事だなどとはいうつもりはありませ
ん、そこにいたる道筋をまず理解してもらう事がせんけつだからです。充分な理解をすれば、それではこれからどう
しよう、という考えが生じてくるはずです。この様にして、操縦欲求が解消されないまま成長すると、社会生活の中で
他人を動かそうというかなり強烈な感情が残ってしまいます。それが暴力だったりする場合もありますが、暴力では
ほとんど目的を達成できない経験をくりかえすと、言葉によるものに頼らざるをえません。そこで一番効果的な道具
が「罪責感」というものです。この「罪責感」というのは現在では「責任感」という言葉で頻繁に使われています。すな
わち「良い悪い」の価値観を持っている人に対して、罪意識を引き出し、自分にとって都合のいい人間に変えようと
するものです。たぶん本当の意味での「責任感」は自我が持っていて、ほとんど表面化しない個人的なものと思え
ますが。他人に責任を押し付けるというのは本来の「責任」ではなく「罪責」なのです。

という事で

 この「罪責感」が他人を操縦する道具として有効なのは相手が善悪の価値観を有していることです。特に親しい
関係の人ほど効果があります。その為多用すると、親しい人がだんだん少なくなって孤独になりがちです。例えば
「やさしくしなければならない」という価値観を持っている人に「やさしくなーーい」といってせめれば、相手は客観的
にやさしいかやさしくないか?の判断なしに、苦しめられる事になります。また「うらぎりもの!」といった言葉も決して
合理的根拠も客観的事実もなしに発せられます。目的は「うらぎる事は悪い事」という価値観を持っている人を自分
の意志に従わせる事です。とにかく自我喪失している人は潜在意識の奥深く(幼児期に与えられた情報)人間は天
敵という意識を持っていますから、すべての人間が自分に従順でなければ怖いのです。その為罪責感を使って
なんとか自分の意志に従う人間に変えたくなってしまうのです。もちろん本人が意識する事はありません。自己修復
を繰り返し「現実認識」が出来れば「そんな事はありえないよ」と思われるような妄想を持っているのが普通です。

W 受動的攻撃

 暴力による攻撃や罪責感を使った直接的攻撃が出来ない人は受動的攻撃という攻撃を行います。普通にはあま
りなじみのない言葉ですが、日常生活でひんぱんに行われていて、普通問題にされる事はありません。何故なら
受動的攻撃を行う人は「人を攻撃するのは悪い事」というスーパーエゴを持っているため、自分のやってる事が攻撃
になると知ってしまうと精神に破綻をきたすおそれが充分にあるからです。それは他の人にとっても厳しい事なので
そっとしておくのが暗黙のルールになっています。攻撃は悪いことではありません。攻撃しないと精神が持たないよ
うな育てられ方に問題があるのです。かといって親の育て方が悪かったと言ってるわけでもありません。親もそのよ
うに育てる以外の行動がとれない様に育てられてしまったからです。原因があったとしても責任はありません。
かなりしつこく前置きをしていますが、それほどこれは重要な意味をもっています。もしかしたらほとんどの人は信じ
られないかも知れません。というより信じたくない感情が先走るでしょう。もちろん信じる必要はありません、何かを
感じたら、自ら調べ考察して、自分自身で確認してください。

罪責感

 を直接使うのではなく、自分自身を弱い立場に置いて「自分をこんな風にしたのは・・・」という罪責感を相手に暗黙
のうちに伝え様とするものです。被害者を演じ弱者を演じることで、他人の罪責感を引き出し自分の思いどうりに事
をはこぼうというやり方です。被害者意識というのもこれに値します。特に両親に対するものが、自分で気づかない
うちに、成功から遠ざかったり、幸せを回避したりする事もあります。またこれの目的で事故をおこしたり、病気に
なったりします。もちろん潜在意識がさせているので、本人にそのような自覚はありません。私の感覚では病気の
90%以上はこの受動的攻撃が関係していると思っています。事故すらも受動的攻撃と深いかかわりにあり、もし
人から攻撃心が薄らげば、病気も事故もおどろくほど減るであろうと思っています。もし事故にあいたくない、病気に
なりたくないと思ったら、潜在意識をじっくり見直して、操縦欲求そのものを解決しなければなりません。しかしこれは
口でいうほど簡単な事ではありません。自分の潜在意識を知りたかったら、精神分析が最良ですが、とんでもない
恐怖心が表面化して、とり返しのつかない事にもなりかねません。ですからお勧めするわけにはいきません。

とはいえ

 ここまで知ったら、なんとかならないかという欲求が生じるのも人間としては当然でしょう。とりあえずは普通の生
活というかいままで通りに生活していてください。一番気をつけることは、出来る限り自我喪失しているらしい人とは
おつきあいしない様に心がけるくらいのことかも知れません。そして出来るだけ自己修復になりそうな自分の好きな
事をやれる環境作りをしてください。そして現実認識がもっとも重要です。自分では現実認識しているつもりでも案外
勝手な想像で見ている場合が多いものです。すきな事に没頭して自慢が出来れば、色々な事がどうでもいい事に
なっていきます。いままでいきまいて「絶対ゆるせない!!」と思っていた事まで「そんなでもないじゃん」となれば、
見え方まで変わってくるのを経験するかもしれません。そして自分では気がついていないあこがれや幻想がとりの
ぞかれると、嫌いなものも少なくなっていくのです。もし嫌いなものが何もなくなったら?(ほとんど不可能ですが)
もちろん自分を嫌う事などありえないわけで、信じられないくらい体が軽くなり何でも出来そうな感覚が生じてくるで
しょう。

X恐怖と怒り

 人間にとってばかりではなく、動物特に哺乳動物にとって、恐怖というのは長時間耐えられないものなのです。天
敵に遭遇するとかして、恐怖状態にはいると、アドレナリンや副腎ホルモンの放出をふくめ、さまざまな身体的変化
がおこり、細胞に少なからぬダメージをあたえます。そこである一定の時間を経過すると、怒りでこの恐怖状態を
脱出しようと試みるのです。赤ちゃんが基本的に持っている恐怖心が解消されないと。母親に対する怒りが生じます
「なんで、俺が怖がっているのに、解ってくれないんだ!」という種類のものです。しかし当然のことながら、この怒り
は母親に通じません、怒りを表現しても、時にはそれ以上の恐怖心で怒りを抑えられてしまうのです。ある程度成長
してくると、怒りを抑えて、潜在意識に閉じ込めると、自分では怒っている感覚がなくなる事もあります。この様な状態
になると、自分の怒りを他人に投影するという精神活動が始まるのです。すなわち「私が怒っているのではない、彼
(又は彼女)が怒っているんだ」という合理化反応です。しかし、これはあまり大きくなると、周りの皆が自分に対して
怒りを向けてくるような感覚に襲われてしまいます。

すなわち

自分の怒りに自分が恐怖するという構図ができてしまうのです。「怒ってはいけない」というスーパーエゴから逃げ出
す為の合理化反応なのですが、結局自分自身で自分を傷つけてしまうのです。さらに妄想からくる他人の攻撃を想
定して、反撃の準備をするのですが、これが又大変な事になります。特に言葉による攻撃は相手の持っている「スー
パーエゴ」を取っ掛かりにするのですが、一番怖い反撃は「そういうお前はどうなんだ!」というものです。
この反撃にそなえるために、どこからもつっこまれないスーパーエゴから見た「完全な人間」を目指そうとしてしまい
ます。これが「完全主義」というかなり苦しい精神活動の本体です。ですから、ここから抜け出すには、他人への攻
撃を放棄してしまえば良いことなのですが、事はそれほど簡単ではありません。なぜなら、他人への攻撃を放棄する
と恐怖心が表面化してしまうからです。

だから

 自分の好きな事やりたい事を出きるだけやって(自己修復)現実認識をくりかえす事によって、なんとか攻撃を放
棄出来そうな精神状態が作れるのです。すなわち自己修復をせずに、攻撃欲求を放棄する事はできません。まして
や、表面的に「怒らない人間」を演じていようものなら、信じられない位の人間に対する恐怖心が生じてしまいます。
このような状態を通常「ストレス」とよびます。すなわち生活の中で感じる「ストレス」とは、自分自身が自分に向けて
いる「怒り」なのだという事です。

さらに

 この妄想の怖い事は、他人の攻撃にそなえていると、妄想のままでは負担が大きくなってしまい、潜在意識が妄想
を現実化する方向に自分を向けてしまう事です。すなわち、本当に自分を攻撃しそうな人間に自ら近づいてしまうの
です。そして、相手を無意識に刺激して、本当に怒らせることで「あぁ、やっぱり妄想じゃなかったんだ」と確認しようと
してしまいます。すると、その攻撃に対して、受動的攻撃が発動して「怒る事は悪い事なのに、貴方が怒るから私は
こんなになってしまった。」と見せ付け様としてしまいます。なんども言うようですが、これも皆「妄想」が引き起こして
いる現象なのです。このメカニズムを逆用できなくはありません。すなわち、潜在意識で「人間はみんな大好き!」と
思っていると、他人がみんな親切に見える事も可能です。しかし潜在意識を変えるのは至難のわざなので、これは
あくまでも、頭のなかで「考えられる」という次元のものです。

人間の性

 人間の性欲は他の動物と違い季節がなく、一年中発情期です。これは案外不思議な事なのです。もちろんその
原因はわかりません。しかし、精神的なものと、性とはなにか密接な関係があるようです。そこで私が考えたのは
潜在的恐怖心が強くたえず不安だと安心とよくにた性快感を強く求めるのではないかという事です。これは生物学
的に合理的です。何故なら、周囲に天敵にかこまれたある生物の集団を考えてみましょう。いつ襲われるかわから
ない状況で不安が強ければ、種を保存する目的で、どんどん子供を生んだほうが種が残れる可能性が増えるわけ
です。さらに、逃走、攻撃の力の強い子孫を残そうとすると思われます。

人間にとっての

 天敵は人間自身ですから、潜在意識ではたえず「殺されるかも知れない」という妄想があるのです。この危機感が
性欲を昂進させるわけです。勿論意識では子供が欲しいと思っているわけではありません。あくまでも本能的欲求
で性欲が昂進してしまうのです。現実には思いのほか、早い時期から性欲が生じるようです。精神的病の関係の症
例を見ていると、5〜6才くらいから性欲が生じている例も散見します。そして、この性欲を抑え過ぎると、人間は凶
暴になります。抑え過ぎるという意味は、昂進しすぎると、いう事です。現在社会では、常識てきかつ道徳的にある
程度抑えなければなりませんが、昂進し過ぎると、普通の人ではそれほど問題にならない程度の事でも、抑えすぎ
になってしまうのです。さらにこの凶暴性を抑えざるをえない状況になると、確実に発病します。

このあたりの事情

 が、フロイトが着目した部分です。しかし、恐怖心を親が解決してあげれる事が出きれば、性欲がそれほどは昂
進せずに済むのです。子育て関係の本などによく「子供を受け入れてあげなさい」と言うのを見ることがありますが
言っている人も、聞いている人も「何を」受け入れるのかよくわかっていないらしいのですが、「欲求」を受け入れる
のでも、悪くはないのですが。一番受け入れなければならないのは「親に対する怒り」なのです。勿論出きるわけが
ありません。親そのものが、すでに「恐怖心」でいっぱいいっぱいなのですから。すなわちほとんどの人間が「しつけ」
をされている為、自分の行動はほとんど「脅迫観念」で動いているのです。ですから行動の変更はそうは簡単に出
来ないという意味です。

 
 

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