□ 海外で感じたこと 「日本人として」

ある朝、車で外出の際 ラジオ(英BBC放送)をつけたところ「ヒロシマ」という言葉が耳に飛び込んできて、何かと思い聞いていると
日本の広島・長崎の原爆についての放送でした。広島原爆投下直後の様子を何人かの年老いた声優が語り部として 
話しているようで それは英語ではあったのですが 日本の被爆者が話しているかのような話し振りでした。
その後、広島のどこかの大学の先生と電話が繋がっていて 
「広島も長崎も 人類で初めて核の被害にあったことについて それを世界に伝える使命がある。事実これまでそれを発信してきたが 
その声は小さく世界には届かなかった。」というような内容でした。『なぜ今 それもBBCで広島の原爆についての放送などやっているのか』
と疑問に思いました。
最後に「インドとパキスタンの緊張した状況」についてふれたので それでなのかと思いましたが、ちょうどその前日、日本で福田官房長官が
「非核三原則を見直すこともありうる」と発言し、問題になっていたことを日本の新聞社のネットニュースで見て愕然とした直後だったので 
それを受けてなのかと気になりましたが そういうわけでもなさそうでした。が、インドとパキスタンがそこまで深刻な状況にあるというなら 
そのほうがもっと怖いと気になりました。6月のことでした。
もし どこかの国が核の兵器を使ってあの惨禍が再現されたなら 広島、長崎に眠る核の犠牲者たちの魂は、
本当に浮かばれないものになってしまうのだと その時初めて気がつきました。アメリカに住む日本女性が
「アメリカ人は核の怖さがどういうものかわかっていない」と書いた記事を読んだことがありますが、そうなのかもしれません。
核の悲惨を知らない人たちがその危険極まりない核兵器を手にしていると思うと 背筋が寒くなります。
被爆国である日本人として、この先広島・長崎に続く悲劇が繰り返されることのないよう、核の恐ろしさを伝え、声を上げることが 
とても大切なことなのだと 日本にいるときにはその責任に気づいていませんでしたが、あのラジオを聴いて以来そう思うようになりました。

●あの灯りと暗闇の下で起こっていたこと。

湾岸戦争の時、テレビのニュースでその様子が放映され、遠く離れた日本のお茶の間でそれを見ることが出来るのにショックを感じました。
 暗闇の中で光る弾が次々と投下される映像はなぜか「戦争の恐ろしさ」を伝えるものではないように思いました。
先日、日本のフォト・ジャーナリスト森住卓さんのイラクのその後を伝える写真を見て胸が詰まりました。
あの時使われた劣化ウラン弾により子どもたちに白血病、癌、奇形などが多発しているというのです。経済制裁の影響もあり、
取材された病院では湾岸戦争前の10倍の子どもが亡くなっており、白血病も10倍に増えたそうです。
痩せこけて骨と皮だけのような赤ん坊や、内臓をやられ腹水でおなかが膨れ上がった子どもの写真は見るのもつらいものでした。
子どもになんの罪があるのでしょう?

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