「木に教えてもらったこと」

日本にいた時から 私は大きな木が好きです。山や神社の境内や公園などで大きな木を見るとそばまで行ってその幹に
手をあてて(心の中で)そっと話しかけてみます。『こんにちは、いつからここに?ここの景色は変わりましたか?
人間も変わりましたか?・・・どうかお元気でまだまだ長生きして下さいね』なんて。木肌はごつごつしていても意外と
手にやさしいのです。そうしてちょっと木に挨拶するとなんとなく落ち着いてふんわりした気持ちになります。
ヨーロッパも大きな木が沢山あります。もちろんここベルギーも。公園の木も大きなものがありますが
 それより街路樹の大きさにはビックリしました。いつ植えられたのでしょう・・・。

この夏、旅行先で見かけた大きな木にいつものように傍まで行き、ふと気づくと地上に出たその木の根の上に立っていました。
「あら、ごめんなさい」とあわてて降りてはっと気づきました。 その瞬間はじめて木の「根」の存在に気づいたのです。
それはもうびっくりしました。「木に根っこがあることくらい小さな子どもでも知ってるよ」そう思われるでしょうね。
でも大きな木が好きだなどと言いながら 私はいつも太い幹や大きな枝、青々と繁る葉ばかりを見ていたことに気づいたのです。
木の根の存在を忘れていました。その時の驚きがどんなものだったか、表現するのが難しいのですが 
今までそこにありながら気づかなかったものが急に目の前にどっしりとその存在を表した、そんな感じでした。
もちろん根は見えませんから想像するしかありませんが。わたしの大好きな大きな木は 地中に深く張った根が支えていたものだったのです。
それに気づいてから 目に見えるものと 見えないもののことを考えるようになりました。
そして 昨年9月11日、アメリカでのテロ事件以来 それまで知らずにいたアフガニスタンのことや世界には
飢餓や貧困に苦しむ人々が多くいることなども、この「目に見えない根」のことと どこか似通っているような気がしたのです。
いつでも不自由なく何でも手に入る先進国の暮らし(ここも日本も)はこの地上に見えている木かもしれない。
青々と葉が生い茂り太陽に向かって勢いよく枝を伸ばしどんどん成長していく。が、それを支えているのは、根の部分の
人たちかもしれない。けれど もし根の部分が弱って、傷んでしまったら どんなに立派に見える木も倒れてしまうだろう。
そんなたとえはよくないのかもしれません。けれど、先日貧困に苦しむ人が目の前のバナナの横で餓死寸前、
しかしその手に届くところにあるバナナは他国に輸出するためのものであって彼のものではないのです。という話を読みました。
自分達が作ったものでも自分達の口には入らない。輸出したほうがお金になるから。でもそのお金を手にするのは
その農園の持ち主や取引をする業者でしょう。餓えている人ではないのです。経済のことはよくわからないので
 それは当然のことだ、と言う人もいるでしょう。でもなんとなく腑に落ちないのです。そういう仕組みを作り上げてしまった
のは 豊かな側のような気がします。 今 豊かなものはますます豊かに、貧しいものはますます貧しく、
富める国と貧困にあえぐ国の格差が大きくなっていると言われます。これは日本の国の中でも同じことが言えるかもしれません。
このままそういう犠牲の上に立つ豊かな生活を続けるとどうなるのか。これはギリギリの生活を強いられている者ではなく
考える余裕のあるものが真剣に考えるべきことのように思います。

以前と同じく、大きな木を見ると やっぱり心ひかれます。そしてあれ以来、どんな根っこなのかしら?と 
木の全体像を想像するようになりました。大きな木ほどそれを支えるしっかりした根がはられているのだろうと想像します。
先進国を太陽のあたる地上の木に、そしてそれを支える側を地中の根にたとえるのは適切ではないと思われるかもしれません。
ただ、木を通して見えないところを見る、見えないところにも真実があるのかもしれない、そういうことに気づき、
木の根に教えられた気がして こんなふうに書きました。
もうひとつ、思ったこと。結婚してから5、6年ごとに転勤があり、最初は埼玉、そして札幌、千葉、ついに
思いがけなく海外にまで来てしまいました。子どもがいないこともあって地域に根ざす、という感覚に薄く、
いつも「根無し草のよう」と言っていました。けれど今回、「自分の根っこ」について考えてみました。「本当に私に根っこはないのかな?」・・・
それが なんだかあるような気がしたのです。震災のお年寄りに「お雛さまカード」を呼びかけて送ったことや、
人とのふれあいでそれは育てられてきたように思います。そうしてその根っこの部分に気づき こんなふうに手紙を書いています。
これが根っこの部分、「わたしらしさ」という気がします。
あなたの根っこは なんですか?
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ご存知ですか?(インターネットでちょっと調べてみました)
★地雷について

今、世界の約68カ国に、1億1千万個以上の地雷がばら撒かれています。
私たちが知らないあいだに22分に一人、地雷によって命を奪われ、傷つけられています。そして被害にあった子どものうち
85%は病院に運ばれる前に死亡しているそうです。なぜこんなに被害が多いかと言うと、地雷は戦場に限らず人々の
生活の場に残されているからです。道路、橋、学校、農地、村のあらゆるところに。地雷のために道路が使えず、資材が運べません。それで
戦争が終わっても村・町は復興が遅れてしまいます。農地を耕すこともできません。焚き付けの薪拾いや水汲み、
牛の放牧で・・・たくさんの罪の無い子どもたちが命を奪われ、手足を奪われ、未来を奪われています。 今も地雷は生産し
続けられています。多い順に@キューバAアメリカBロシア(2001年)このほかたくさんの国が地雷を作っています。ちなみに
アフガニスタンに埋められている地雷は約10,000,000個だそうです。(HP「天使になりたい」より)

人道目的の地雷除去支援の会:TEL03-5776-1623 FAX.03-5473-1668

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