力を信奉すること


米国がまた、ミサイル防衛システムを構築しようとしているそうです。

自分が絶対的な軍事的優位があるときにしか安心できないって、自分のことしか見て
いない。
米国の絶対的軍事優位は、他の国の絶対的不安です。国際情勢は不安定になります。

力で優位にあるときだけ安心できる精神。

それが、世の中にどれほどあることか。
家庭内の戦いから、国と国との戦いまで。

家庭で、学校で、職場で、力ずくがまかり通る。
あるいは、狡知が人を支配するため、追いつめられた者が暴力で対抗する。
力の信奉者が増殖する。

なぜ、人は力の信奉者となるのか?

私塾をやっていて、軍国主義や国家主義に好感を持っている少年に、何人か
出会いました。いずれもヒトラーが大好き、旧日本軍やドイツ軍に「すごかった」
と畏敬の念を持っている。日本が強い国であること、自衛隊が強いことを願っ
ています。

ある生徒が私に尋ねました。
「日本の軍備は、世界でなん番目?」
「日本と中国とでどっちが強い?」

彼は、友人たちの雰囲気になじめず、迎合もできず、学校に行けなくなってい
ました。「俺をバカにした連中を見返してやりたい」の一心で勉強をしようとして
いましたが、思うように勉強が進まないでいました。

ある少年の中学は、いじめが横行していました。先生たちもお手上げで、見て
見ぬふりをしていました。その少年は、強い力がその状況をなんとかしなけれ
ばならないと感じていましたが、なんともできませんでした。家庭でも、彼は、
期待されるものがあまりに多い立場でした。彼は、日常のしぐさでも、ヒトラー
の真似をしていました。

また別の少年は、親が空疎な理屈を持ち出し、他人に干渉するインテリでした。
その少年がナチスファンになったけど、家庭内暴力に走らなかったのはすごい
ことだと思いました。

力へのあこがれが生まれるのは、無力感から。
それと、大きな意欲と、自分自身を表現することの不器用さ。たぶん。

最初は無力感、でも、いったん力の味を知ると、こんどは麻薬のようなものなので
しょう。
権力をふるっている人たちを見ると、そう思います。

私自身だって、他人のことを平気で言っていられる身分じゃありません。積極的な暴
力や、命令はやらないけど、
「あの言葉は強すぎて、生徒に対しては威圧になってしまった」
「僕に言いたいことが多すぎた。あの子は、自分の考えを持つ余裕をなくした」
と反省するようなことはよくあります。
自分で気が付いていないことなら、もっとあるでしょう。

戦争を根絶するものは、”平和主義”ではなく、虐げられた者の言葉にならない言葉
に耳傾けることであり、どんな人の中にもある光を見ることだと思っています。

秩序は、草の揺らぎや、日の光の中にあります。
軍事力による平和は、薄皮一枚の秩序にすぎません。

21世紀。いままでとは、社会の仕組みが根本的に違ってきている時代。
こんどこそ、”平和主義”によってではなく、一人一人の人が自分らしく生きること
で、平和な世の中が来る可能性があると思っています。

古山明男 (私塾主宰  51歳)


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