これは、私の掲示板での折口さんとの会話です。
退行とか幼児化と呼ばれるものに
かんする私の所見が含まれています。

 

[646] ご来訪ください

 

いつもおせわになります。
恐縮ですが、小生のHPに、書き込みくだされば幸いです。
テーマは、自己存在の価値論みたいなところです。
鬱状態に、よくある、「自分ってこの世に価値があるのだろうか」
ということかなぁ??
逆に、「俺がいるからこの世があるんだ」みたいなのは、ソウ病にみられる特徴ですが??
鬱状態って、自己卑小化なんですかね??
ご教示ください。

01/11/10(土) 12:24 おりぐち


[647] いや、そのなんだ  

 なんか、こんなタイトルばっか(;^^A
ここの所、なにやかやと・・・・
しばらく折口さんの所ROMしていなかった、ごめんなさい<(_ _)>

この話題、××さんが、う〜んと、性格の違いみたいな所で説明していたので
僕の出番ではなさそうで・・・・
う〜ん・・・・・これは合理化の匂いが・・・・
でもそれで安定している人もいるのなら、あえて波風をとかおもっちゃって・・・
それに「どうしたら」みたいなところは、個人差が大きくて、難しいのよね。
「もう無い」ものの、代替が必要なんだけど、一歩間違えると泥沼に・・・
う〜・・・・・難しすぎる・・・・・・行間読んで(^^V♪

01/11/10(土) 22:05 いるか


[648] ごめんなさい 

  ごめんなさい

ありがとうございます。
そうですね、掘り下げていくと言うのは、僕の、昔からの研究職の職業病みたいでした。
RESありがとうございました。
しかし、このもんだいは、理論的なことよりは、忘れた、「歓喜」を呼び戻すみたいな所がありますよね。

01/11/11(日) 08:15 WEBMASTER


[649] いやいや  

  あやまる必要なんか、ま〜ったくないですよぉ♪
ここでなら折口さんの理性とお話できるかな?
掘り下げるのは僕も大好きですよぉ〜♪

結局、精神分析するとその分析が優れていればいるほど必ず出てくる「幼児化」の問題をいっているんだけど。これは「退行」とも呼ばれるし「アタッチメント」とも呼ばれているんだ。日本語に訳すと「ぶらさがり甘え」とか言うんだけど。
結局はこれが解消されないかぎり精神的病の「完治」はないと僕は踏んでいるんだ。
だけど現実問題として、とてもじゃないが無理な話なんだよね。僕が言葉をにごしているのは、そのへんにあるんだ。ネットでの言葉だけでもこの退行は起こりうる事なんだけど、周囲にそれをフォローする「生身の人間」がいないと、すべてが「怒り」に変わってしまって、周囲に「やつあたり」する可能性すらある、とても危険なものなんだ。
赤ちゃんの時やさしく抱かれて沢山の「安心感」を得られて、何をしても、例えおちゃわんを割ろうが、床にミルクをこぼそうが、いつも「ニコニコ」暖かく見守ってくれている「保護者(本来は母親)」の存在を熱望していた幼児期の固着が、追体験をしたくて退行するんだ。
でも現実にはほとんどの人間が同じ「固着」を持っているので「どっちがお母さん役をやるのか」ですざまじいバトルになったり。「甘えるのはいけない事」というスーパーエゴを持っていると、中途半端になって修復にならないばかりか、ずるずると他人を引きずりまわす事になってしまうんだ。悪くすると他人を殺してしまう事すらありえるんだよ。

01/11/11(日) 12:55 いるか


[650] 代替  

  その代替として僕は「友愛」を推奨しているんだ、日記の方と話題がダブルけど、「死んだら泣いてくれる人がいる」という感覚がしっかり固定出きれば「自分の存在価値」に自信が持てるんだ。折口さんで言えば「我が子の存在」がそれだったような気がする。夫婦とか親子とかでも「友愛」がありうるんだよね。
この現象を利用しようとしているのが「ワークショップ」とかいう精神治療に導入されている治療方法なのだけど、基本的に「人間不信」を抱えている人達を只単にマニュアル的に一同に集めても効果なんかでるはずもなく、その辺の指導はかなり難しい問題なんだよね。特に「感受性の強い指導者」がいないと、かえって逆効果になるんじゃないかなぁ?

01/11/11(日) 13:05 いるか


[651] 低空飛行の時は

  低空飛行の時は、だれかがそばにいて欲しいという症状があって、これは、だれにでもあるらしんです。
だから、僕は、犬を「チャーチル首相」からお名前を頂戴して、「チャル」と命名していっしょに寝ているんです。
つれあいは、いっしょに寝てくれない。・・・大笑い・・・
「なにかとともにある」
MIT leven というと大袈裟ですが、そういった存在のありようが本来的にあるみたいですね。
精神の病というのは、本来の自分に帰りたい。
それが、幼児期の自分に帰結すると言うことになるんだろうけれども、そのとき、自分は自己以外の自分でありたいと望んで、無理な仕事や、名誉などを求めたりするんだけれども、結局それからも裏切られるみたいなところで、心の病に罹る、というか・・・う〜ん・・・なんといえばいいのか・・そうだ・・・自己の過去へ回帰することで解決しょうとするんではないのでしょうか。
ですから、自分以外のものでありたいと思うのだけれども、なにものかになりたいと自分を企投するときに、その企投先のありようの自己設定が間違ってるのであって、嗜好癖に走ったりするんでしょうね。
だから、人間存在が本来希求するようにできているのは、それは「愛」というものであって、そもそもそのようなあり方で人は作られている。
そこで、いるかさんのいわれるような形で、まちがった教育、刷り込みがなされて育つと、自分の求める先が違って、結局は、心の病に罹る方がまだましだが、犯罪を起こしたり、あの裁判官のような嗜好癖にはしったりとする。
また、鬱になるほうが人に迷惑をかけないから良いが、ここで、Myさんの言われるような「隠れた鬱病者」が社会に迷惑をかけている。
ということになるわけで、回復とは、存在論的には、自己が自分以外のものになろうとして、しかし、自分は自分であって自分以外の自分ではないという存在の自動律において、自己が回帰するのは、「愛」であって、これは自己以外の対他的なものとの「愛」のありかたへとアウフヘーベンされなければならない。
だから、鬱病から回帰した男達は「家族愛」へと回帰して父性をとりもどすことで自らの心も快癒する。

お〜と!!
すごい、この50年間の歴史の中で、とうとう、ハイデガーの存在回帰論がわかりかけてきちゃった〜〜〜!!!!!!!!!!!!!
すごい、
いるかさんありがとう、おかげで、頭の中の雲がさっていったようです。

コリント書でしたっけ、

信用と義理と愛情とがのころるが、世が絶えても残るのは「愛情」なり。
「愛」こそ永久につづき、最後まで残っている。

ちょっといいすぎかねぇ??
ともかくありがとうございます。
また、ご教授ください。
あ、それから、「心的外傷・・・」は、今読んでます。近日中に寸評をアップします。
不尽・・・草々・・・

01/11/11(日) 13:40 oributi

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