「世界平和へのヴィジョン」


 今回の無差別テロ事件は私たちに大きな衝撃と深い悲しみをもたらしました。
一瞬のうちに故のない無惨な殺され方によって、愛するものを失った家族や恋人や友人たちの深い悲しみや憤り、怒り、無念は計りしれません。沢山の人が報復とか制裁といった気持ちに覆われてしまうのを、私は解ります。私もかつて暴力を受けた者として、あの報道を見ながら、深くうち沈みながら、テロリストたちへの憎しみと復讐心を持ったのです。

 がしかし、新聞に掲載されたあるテロリストの遺書に「今の世界は虫の羽ほどの価値もない」「破滅と破壊を味わわせる」と書いてあるのを読み、驚いたのです。かつて私も同じように、社会に対する復讐心を持ったことがあるのを思い出したのです。


 私は中学3年の時に校内暴力を受けた事があります。その時、私は心に深い傷を負いました。そして、暴力と周囲の無関心の記憶は、私に厭世観や人間不信、抑鬱と虚無感、自殺願望、復讐心をそだてました。暴力をふるった者だけでなく見て見ぬふりをしていた者たちへの反撃、報復。社会の全体への憤り。結局、実際に暴力をふるうような事はなかったし、死ぬような事もなかったけど、妄想の中では何度も実行しているのです。そんな荒廃した心から立ち直り、本当の自分を取り戻すまで、長い年月を要しました。いや、今でも、今回のような事があると、あの時の傷が疼きます。


 中学時代に私に暴力をふるった者に対し、30年かかって、ようやく許す事が出来るようになりました。それは、彼もまさしく被害者だったに違いない事に気づいたからです。彼の生まれ育った家庭環境を思い描くとその痛ましさに悲しみと哀れみがわいてきます。そして、私自身が周りの無関心者になってはならないと、心に命じました。


 テロに走る者たちにいったい何があったのでしょうか。貧困、飢餓、差別、不平等、迫害、暴力、虐げられた人々、希望をはぎ取られた人々、そして愛の不在、などなど、、、、。彼らは自分たちこそ被害者であると思っているのです。そしてその怒りからこの世界に報復をしているのです。報復に対して報復で向かう事は、また新たな報復を生む事になります。私たちの歴史はそれを何度も何度も繰り返してきました。今こそ私たちは勇気と英知を持って憎しみと暴力の連鎖の鎖を断ち切らなくてはいけません。憎しみあう事をやめるために、本当の平和を実現するために、どうしたらいいのか、今こそ考え始める契機なのだと、強く強く思います。英知こそ人間に与えられた本当の力なのですから。

 ある資料によると世界人口の6%が世界全体の富の59パーセントを所有し、その6%ともがアメリカ合衆国国籍。80%が標準以下の居住環境に住み、70%が文字が読めず、50%は栄養失調。このような世界の有り様の中で、テロリズムをたとえ力でねじ伏せようとしても、あらゆるところで起こる可能性があります。永遠にテロの恐怖から逃れる事は出来ないでしょう。世界が歪んでいる限り、いくらでもテロリストは生まれてくるのです。


 私たちが出来る唯一のテロ対策は、世界中のすべての人々が人間として希望と愛を持って生きていける環境を用意する事なのではないでしょうか。すべての人々が生き甲斐を持って幸福を求める事が出来る世界を構築する事。人間としての尊厳を保障して上げる事。それしかないのではないでしょうか。


 世界は今、不況に見舞われています。今回の事件でさらに不況は加速されています。経済の活性化は「市場経済」によるものだとよく言われていますが、世界経済を支えているのは、個々個人の生きる事への意欲なのではないでしょうか。一人一人が生き甲斐を持って社会生活を営めて、初めて経済や文化やすべてが成長していくのではないでしょうか。地球全体がそのような環境が整い、すべての人々が生き甲斐を持って、そして幸福を求め始めた時、人類はどんなにか素晴らしい発展と成長を始める事でしょうか。


 天安門の虐殺や湾岸戦争の時、私は深い抑鬱と無力感を味わいました。しかし結局、自ら行動を起こす事はありませんでした。しかし今回、私もテロリストになっていたかもしれないと思い至った時、すべての暴力にNOと言わなくてはいけない。そして世界に住むすべての人々が、生き甲斐や幸福を求められる環境の構築を、社会に訴えて行かなくてはいけないと、心に決めたのです。

 今回の出来事の全体は、きっと新しい平和な世界の礎になるはずです。世界はゆっくりと、しかし確かな足取りで前に進んでいます。たとえどのようなネガティブな事でも、大きなタイムスパンで見るならば、すべては進化のために起こっている、そう言ったのはダライラマです。そして私もその言葉を信じています。



ウォンウィンツァン
SATOWA MUSIC   
2001.9.26

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